寮生OBの日記

ここでは過去にNOLAに在籍した寮生の日記を掲載しています。
NOLAの生活を見事やり抜いて立派に自立を果たし、晴れて卒寮を許可されて巣立った者。
途中でケツを割って逃げ出した者。
はたまた家庭の事情でやむなく中途退寮した者。
様々な若者がNOLAで過ごした日々の記録がここにある。

ひとついえるのは、卒寮を果たした者は今も社会で頑張っているが、子供の言いなりになって親がこちらの指示を聞かずにNOLAから出ていってしまった者の殆どが再び挫折しているという事実だ。

全身全霊で彼らの自立支援にあたっているスタッフにしてみれば
中途退寮は、せっかく手塩にかけて育てた我が子をとられるようなもの。

親も子もあともう少し頑張れば・・・というところで連れて行かれることは非常に残念で悔しさと、無力感が残る。
せっかく苦労してNOLAに来たのだから最後までやらせてあげて欲しいと切に願う。

継続は力なり!」NOLAでの自立の成否はひとえに親の決意の強さにかかっている。
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  まいの日記    2008   2009  2010  2011  2012  2013

2008/9   13歳で入寮


 ゆうこの日記  2010  2011  2012  2013

2010/9  14歳で入寮


みつるの日記      2009  2010  2011  2012  2013

2009/2  14歳で入寮


 
まさきの日記
      2010  2011  2012  2013

祝 卒寮!!

2010/5  15歳で入寮



りょうの日記      2008   2009  2010  2011  2012  2013

祝 卒寮!!

2008/5   12歳で入寮

 

ケンジの日記      2007   2008  2009  2010  2011

祝 卒寮!     2007/4/1  14歳で入寮

全寮制の中学でいじめにあい不登校に。家庭内暴力があり親は困り果てて連れてこられたが、それほどガタイがでかいわけでもなく、何をそんなに恐れるのかよくわからないというのが私の感触。
本人は非常に素直で、飲み込みも早く生活にはすぐ慣れて、本来のひょうきんさも顔を出し周囲を笑わせることもしばしばある。
親子共に本来の実力以上のものを自分にかせてしまい、燃え尽きてしまったパターンのようで、タケシ日記のコメントにもあるとおり、自分の弱さを認めてありのままの自分にOKを出すことが親子の課題だろう。
今までは悲観的な親の態度に足を引っ張られた格好で、足枷がなくなったケンジのほうがリラックスし一歩リードというところか。親は早く自分自身を許して自分の人生を前へ進んでもらいたいと切に願う。
将来のことをあれこれ心配して、心を病むより、親も子も今の自分のやるべきことに(逃げずに!楽しみながら!)全力をあげて取り組むことがひいては明るい将来につながるのだということを知って欲しいものだ。

 

かずきの日記      2006   2007  2008  2009  2010  2011

祝 卒寮!    2006/8/29 14歳で入寮

えみかと一日違いで入寮。
物静かなえみかとは対照的なヤンチャ系の少年だが、達者な口に実力がついていっていないかも・・・。
11月には実家の近所で行われたフットサル大会で、会いに来てくれた友達を放ったらかしで脱走。
帰寮後は本腰を入れてまじめに取り組むようになってきた。本来は素直でまじめな少年。
だがすぐにケツを割ってしまうことを受け入れてしまう祖母の影響大。
最近、親よりも祖父母の過保護で子供がダメになるケースが多いのは彼に関わらず増加傾向にあるが、我々が直接関与できないだけに厄介な問題だ。
愛情も物も与え過ぎれば弱くなる!
「かわいい子には旅をさせよ」ということわざをシカと心に受け止めて欲しい。

 

真一の日記    2006  2007  2008  2009  2010

2006/5/29 22歳で入寮

高1〜不登校で中退。その後は引きこもりへ移行
自閉的でノーリアクション、濡れた洗濯物をそのまま着るなど、生活面での問題が多かったが、徐々にできるようになってきた。最近は積極性が出て作業やスポーツに意欲的に取り組んでいる。
課題はリアクションと食事当番や掃除などのスピードUP!


コージの日記 2004〜2006   2007  2008  2009  2010

祝!!終寮  2004/7/13 22歳で入寮

ヤスと同じく他のフリースペースに通うもそこで大暴れして病院へ、またも退院後NOLAへ直行入寮。
入寮直後はいらだちを隠せず、他の寮生とぶつかることもしばしばだったが、次第に落ち着きを取り戻し、薬も軽いものへ変わるなど本人もNOLAで頑張りを見せている。
キレキャラ大魔王の社長を前に、当初のキレキャラは影を潜め、外見のいかつさに似合わず繊細で、本来の優しさや面倒見のよさを発揮している。
05/7月には研修生として中西造園土木へ、その後本人の前向きさが評価され05/11月には晴れてアルバイト採用。NOLAでも研修組へと昇格。
06/4に通勤途中にチャリごと谷底に落ちるという事故をおこし休職を命じた。現場ごとに仕事の内容が変わることについていけず、仕事が覚えられないことで、精神的に疲れ、問題行動が多発した為、今は再び作業組に戻り、自分にできることできないことを整理し、原付免許取得と彼の力にあった仕事探しが現在の目標。



メイの日記     2007 2008  2009  2010

祝 卒寮!
2007/6   13歳で入寮

真奈美の日記   2005〜2006  2007  2008   2009  2010  

祝卒寮!    2005/7/7 14歳で入寮

直輝以来の久々の中学生。
最近の中学生には珍しいくらい礼儀正しく物静かな少女。
普段の生活でも最年少ながら他の寮生の見本のような生活ぶりで、他の寮生に対しても○○先輩とよぶ律儀さ。家庭でそうとう厳しく育てられたこと(あるいは強度の完ぺき主義)が推察される。
 ただその堅さと律儀さがプレッシャーとなって彼女の自立の足かせにもなっていることは確かで、今後いかにテキトーを覚えるかが鍵。
05/10月から真悟に続いて吉中に登校を開始した。
3学期からは部活も始めて充実した毎日を送っている。
不登校になって半年で入寮。3ヶ月で登校。これまた早期発見即時対応を実証する結果となっている。
中3の終わりには受験勉強にもエンジンがかかり、見事志望の大宇陀高校に合格、07年4月から高校生として通学。充実した日々を送っている。


さやかの日記   2007   2008

祝卒寮!   2007/2/4 14歳で入寮

中学2年生で、不登校になり、別室登校はしていたが、我々がいつも言うように、別室登校は問題先送り以外の何物でもないという、早期発見即時対応が基本という、我々の主張に親が共感し、NOLAにやってきたが、かずきと同様、親が締めると、甘い祖父母のもとに逃げ込むという悪循環を続けていた。祖父母の孫離れ?が課題かも。
「かわいい子には旅をさせよ」を肝に銘じて欲しい。
入寮当初は緊張からの固さも見られ、脱走未遂もやってくれたがその後は落ち着つき、生活もパーフェクトといえる状態だが、これは火事場のバカ力で本来の実力以上を出しているだろうとスタッフ間では話していたが、案の定、NOLAの生活にも慣れるともに、ルーズさが顔を出し、寝坊も増えてきて現在は少し中だるみ気味?
だがこれは初期の緊張が解けた証でもあり、これから徐々に手綱を締めていくつもり。


ジュンコの日記 2005〜2006  2007  2008

祝卒寮!  2005/3/16 22歳で入寮

手首に残る無数の傷跡は彼女の苦悩の歴史でもある。家族との折り合いが悪く、外にでることが困難で、困り果てた母親が相談に訪れた。入寮に際しても自力での外出が困難な為、スタッフが自宅まで迎えに行った。
入寮後しばらくは不安定だったが、今は生活にも慣れ、本来のおっとりした性格で皆をなごましてくれている。
と同時に徐々に積極性も出てきて、05/12には原付免許を取得、その後、恵と共に仕出屋さんに就労研修に出ている。
06/4からは大宇陀の阿騎野の湯にアルバイトに出て、社会参加への道を歩みだした。
07/2からは休みの多い阿騎野の湯のバイトの間を埋めるべく近くの工場でのバイトも掛け持ちをはじめた。
バイト等外に出ることには力をつけているが、内に秘めた自己中と、1か0かのオセロ思考にこだわる頑固さや、人間不信を取り除くことが今後の課題。
親が変われば子も変わるというが、親が真剣に子供と向き合うことは立ち直りには欠かせないが、残念ながら父親は、NOLAを一度も訪れたことがない。父親に認めて(受け入れて)欲しいという想いが非常に強い。ここら辺にジュンコの自尊感情の低さと偏屈の原因があるようだ。
ここ関してはNOLAではフォローできない部分で、親子がしっかり向き合ってくれることを願う。


えみかの日記  2006  2007  2008

2006/8/28 14歳で入寮

入寮後一ヶ月は朝起きてこず、日記を書き始めるまでのかかった時間はNOLAワーストレコードを記録したが、いざ書き始めると、怒涛のごとく文章を書き始めた。もちろん今は朝も起きている。
日記に限らず、何事にもエンジンがかかるまでに時間のかかるタイプ。
それでも、様々なことに意欲的に取り組むようになってきたが、初めての場面に遭遇すると失敗を極端に恐れ、尻込みしてしまうところがある。課題はスロースターターの克服とチャレンジ精神の向上・・・。



たいようの日記 
2006
 2007

祝卒寮! 2006/1/10 14歳で入寮

不登校ではないが、生活が乱れていて遅刻はしょっちゅうで不登校気味の状態に危機感を持った親御さんが相談に見えて、乱れた生活を正す為に入寮。

気は優しいが、同時に優柔不断で自分で即断即決できず自分の意見を言えずに人任せにして結局ストレスをためてしまう弱さがある。
その辺は本人も危機感を持っていたため最近はやる気を見せて何事にも積極的に取り組む姿勢が見えてきた。
ルールを守る強い意志とやり遂げる力をつけることが今後の課題だが、高校進学向けてやる気も見えてきた。



ほかの日記      
2003〜2006 2007


祝卒寮! 2001年6月、14歳で入寮。

入寮3ヶ月後の9月には吉中に通い始めたが、最初の一週間は私に内緒で保健室登校するなど何かとお騒がせで、私が何度も吉中から呼び出しをうけたつわものだが、どこか憎めない明るいキャラクターと調子の良さで吉野でも友達が多くいる。

昨年、卒業後就職希望だったホカはNOLAの近所の中西造園土木にアルバイト研修(丁稚奉公)に受け入れてもらい、調子の良さだけでは生きていけない厳しい社会の現実に直面しながらも、暖かい上司たちにも恵まれて、なんとかここまでやってきた。

恵理子に続いて彼もコテージ5(独立寮)でひとり暮しに入ったが、03年5月に自分のこづかいの管理が出来ず出戻り、再び寮生として生活。

10月にはその勤務態度の悪さに勤め先からもクレームがつき12月まで作業組にもどったが、05年4月仕事に復帰、仕事振りや意識にも自覚と責任が芽生えてきた為、06年5月からコテージ5に復帰して卒寮への最終段階にはいった。


わたるの日記
  2006

2006/04/02 22歳で入寮

飄々とした風貌で、自然や山が好きはいいのだが、人が苦手(自称)で単独行動が好きで、急に消える癖がある。
2度脱走を試みるが、最近は周囲の寮生とも打ち解けて話が出来るようになってきて作業もまじめに取り組んでいたが、まずは消えずにやり続けることが課題だったが、7回の脱走を繰り返し、その間全国を転々と渡り歩く放浪癖があり、鍵も塀もないNOLAでの生活続行は困難と判断。



真悟の日記 2005〜2006 

2005/7/20 14歳で入寮 2006

真奈美に続いて入寮した中学生。学年も同じ2年生だ。
これまた真奈美とは対照的なやんちゃ坊主。
非行で他のフリースクールからの紹介を受け入寮。

以前いた中学では校長から「社会のゴミ」といわれるなどひどい扱いを受けていたらしいが、筋さえ通せば物分りのいい、男気のある少年だ。
○○(非行)と はさみは使いようというが、ゴミにしたのはいったい誰のせいだと問うてみたいものだ。
彼に必要なのは世間体や建前抜きで本気でぶつかる大人がそばにいることだ。

入寮後NOLAにもすぐになじみ持ち前の明るさとリーダーシップで皆を引っ張っていくペースメーカー的存在。
ただ、ルールを守る、物事をやり遂げる意識をもう少し鍛える必要あり。
毎度そうだが中学生の成長のスピードは目を見張るものがある。

05年9月に吉中へ登校開始。
入寮から再登校までわずか一ヶ月半というNOLAのファーストレコードを更新し、自立不全は早期発見、即時対応であることを裏付ける好例だが、以前の学校のトラウマか先生への反発が強く、何かとお騒がせで、強気な言動とは裏腹に母親への依存も強く弱さを見せることも・・・。

それについつい手を出してしまうケジメのない母親、と絵に書いたような家庭環境で、親離れ、子離れが課題!?。
この課題を結局克服できず、なんと修学旅行中にディズニーランドから脱走するというNOLAはじまって以来の事件を起こし、吉中にも多大な迷惑をかけたが、親も子供に責任(ケジメ)を取らせることなく言いなりになって退寮した。



かずまの部屋
  2003〜2006

祝卒寮! 2002年9月、16歳で入寮、2006年3月、19歳で卒寮 

全国から集まる寮生の中でも、最も遠い九州は鹿児島から入寮。
一見寡黙な彼も寮生の中では歌や踊りを踊って見せるなどひょうきんな一面もある。
そんな彼もNOLAからの高校進学を決め、奈良県教委の協力もあってこの春からNOLAから吉野高校へ通学をはじめた。

そして一年間を皆勤で学校へ通うなど頑張りを見せて、この春休みにはバイトにも出始めるなど、積極的に自分で自分の歩むべき道を切り開いていける力強さも出てきて喜ばしい限りだ。

06年3月には吉野高校を無事卒業し、春から就職訓練校への進学も決め3月いっぱいで晴れてNOLAを卒寮。
その後新居が見つかるまではNOLAで下宿扱いで生活していたが5月6日ついに引越し、本当の一人暮らしに挑戦がスタートした。


あみの日記
  2003〜2006

2003/11/11 16歳で入寮 2006/3/24卒寮
                               
男ばかりのNOLAに久しぶりの女の子が入寮した。
何も知らず、何も出来ない絵に描いたような温室育ちで、2度脱走するなどしたが、親の踏ん張りもあって徐々に生活にも慣れ、時間はかかるが日課も少しずつこなせるようになってきた。

入寮当初は、親や他人とも筆談しかできなかったが、今ではまわりにウザがられるほど陽気に良く話すようになった、しかし、日記を見ていただければわかるが、その内容はうちの拓ボン(わがやの次男、現在年長組)レベル・・・(・・;)
でそこをどうやって社会に通用するレベルに引き上げていくかスタッフも頭を痛めているところ・・・。

日記もあまりに支離滅裂な文章なので、国語力がつくまでしばらくの間休止した、その間日記はノートに書かせて懇々と指導した後4/14から復活したが、今度はハンでついたようなワンパターンの文章になってしまいまたまた指導。

その後こちらでの生活の中で徐々に彼女の軽度発達障害に由来するものであることもわかってきて、彼女の能力に合わせた対応をとることで、徐々に落ち着きを取り戻して能力を発揮。
あとは彼女に合った仕事を探す段階にある。日記も復活


めぐみの日記 2005〜2006 

2005/4/18 21歳で入寮

最近のNOLA入寮者の例に漏れず、あちこちの支援施設を渡り歩いて埒が明かず最終的にうちに来たつわ者。
強い不眠の為入寮時には強い薬を行く種類も飲まなければ寝られず、薬依存状態だったが、NOLAでの作業やスポーツ中心の生活で薬も減って、徐々に不眠も解消し生活のリズムを取り戻しつつあり、時に本来の明るさと積極性も出てきたが、同時に自己中キレキャラも発揮。

また女アキオと呼ばれるぐらいくだらないことをクヨクヨ悩むことが趣味!?
だが最近はそれらも影を潜めて積極性が出てきて、05/12月には仕出屋さんに就労研修にいけるまでになっている
次の目標は足の確保(原付免許)だ。頑張れ!



ヤスの日記
  2004

2003/8/25 17歳で入寮

入寮から日記の掲載までのブランクが長いのはスタッフが悪戦苦闘した証。
入寮以前に、精神科でADHD(注意欠陥多動障害)と誤診されたうえ今問題になっているリタリンの大量投与による中毒状態で、病院で暴れるなど手がつけられず、退院後そのままNOLAへ直行入寮したというツワモノ。

 入寮当初は作業に出たくないとダダをこねたり暴れたり、風呂や洗顔も自分で出来ない有様で、おまけに欲望の赴くままに行動するのでオヤツや他の寮生のものを盗ったりを繰り返し、とても日記どころではなかったが、彼が切れる度に、私や菊ちゃんも切れたので、その気迫に負けておとなしくなった、最近では作業などもまじめに取り組むようになって、他人とのコミュニケーションもとれるようになってきた。
最後までガンバル事を覚えてきたので4月から生活組から作業組へのランクアップした。



ひさしの日記 2005〜2006


2005/10/31 23歳で入寮

親は一年ほど前からゆきどけの会に入会してもらい、様々な勉強を重ねてもらっていたので親御さんはとても協力的だった、ただ、本人がなかなか動かなくて、タイミングを見計らって連れてきた。

来た当日は駄々をこねて大暴れ。
社長と大乱闘を起こすも、このままではダメだという思いもあってとどまる。
当初は1ケ月でバイトに出ると豪語していたが、現実の壁に直面、最初はいろいろ屁理屈を並べては帰ることしか考えていなかったが、徐々にNOLAにもなじんで前向きに取り組む。

日記の書き出し時期が早かった為、入寮間もない寮生の葛藤が良く描かれている。
その葛藤を乗り越えて彼らは生きる力を取り戻していくのだ。
思わず頑張れ!と応援したくなる。(いや我々も必死で応援しているのだ。)

生活には慣れてきた彼の次のステップは、まじめはまじめだが融通が利かず、理屈っぽい所があるため、なかなか自分の殻をやぶれないでいる今日この頃。
何も考えず、素直に他人の話を受け入れる余裕が出れば飛躍の可能性は大いに広がるだろう。


ミッチー(のりひこ)日記
 2003〜2005

2002年11月、17歳で入寮  2005/12/14 中途退寮
                              
NOLAに来る前は、兵庫県の公立の不登校向けの共同生活寮(学校?)に入寮するも、そこでは肌が合わず退学。
聞くところによると、共同生活ながら週休二日制で土日は家に返され、問題を起せば自宅謹慎させられるという、家から出す事が目的なのに問題を起こしたら家に返すという、わけのわからない対応をしていることに私は逆にカルチャーショックを受けた。

週休2日で立ち直るなら俺はこんなに苦労はせんぞと・・・。

ただ彼自身は定期的になんかやらかしてくれる、NOLAの伝説メーカーでもある。
そんな彼も私という天敵が居るせいか、失敗は多いが本人は極めてまじめに取り組んでいるし、ホカとならんで明るいキャラクターで周囲を笑わせている。

そんないいところをもっと伸ばしてくれたらと願う
ただ彼に限らず発達障害や精神障害を持つ者の自立支援には、精神科医との連携も必要だし、普通の自立不全の何倍もの時間と根気と手間がかかるものだ。

彼もその例に漏れず立ち直りスピードの早いNOLAで作業組在籍3年というワースト記録も更新。
とはいえ入寮後3年が過ぎ、生活習慣も身につき、作業も失敗も多いがこなせるようになってきて、何度か就労のチャンスは与えるが、ネックになったのが彼の衝動性で、後先考えずに他人に迷惑をかける行動だけが収まらない。

ADHDに由来するものとはいえ、他人に迷惑をかけることは許されない。
彼が何かやらかすたびに、叱ったり、諭したりをくり返している。
発達障害はそれ自体は自立不全とは関係はないが、他人とうまく関係を作る為の作業には何倍もの手間と根気を要するのだ。だが、残念ながらアキオと同じく親は待つことが出来ず、変化を求めて他のフリースクール行くことになった。
残念だが彼が幸せに暮らせるようになるなら、どこへ行ってもかまわない。今は祈るのみ。


アキオの日記
 2004〜2005  

2004/7/26 19歳で入寮 2005/11/27 中途退寮

これまた入院直行組。精神的に病んだ者が入院した後のリハビリの機会や受け入れ施設が不足している何よりの証拠だ。
彼らが精神的に落ち着きをとりもどした後、親元を離れ社会で生きていけるレベルにまで援助することが最も根気と困難を伴う作業になるのだが、これができるところを私は共同生活以外に見たことは無い。

が、まだまだ少数で、経済的な問題も多い。全国に共同生活舎が増えれば多くの若者を社会に復帰させることが出来るのだが・・・・。
アキオ自身はコージとは対照的な理論派で物静かな若者だが、すぐ白か黒かの二進法的思考をしてくだらないことでクヨクヨ悩むことが多く、悩みだすとせっかくの理論がこんがらがって思考がフリーズ(停止)してしまうまさにパソコン的思考回路の持ち主。
余談だが、ビーチボールの寮生Bチーム「フリーズ」の名前は彼らの思考・行動パターンをとって誕生した。
また母親との相互依存が強く、くじけそうになると家にTELをくり返す。
ここをどうクリアするかが彼の自立の鍵になるが、

一年が過ぎ、薬の量もTELも減り、徐々に前向きさを取り戻してきていたが、好不調の波が大きく、不調の時には母親依存が頭をもたげる。
このとき家族が強い意志を持って続けさせることが出来るか、はたまた、受け入れてしまうかで立ち直りに大きく影響してしまうのだが、残念ながら後者となった家族の意向により退寮となった。

 中途退寮はいつもそうだが、我々にしてみればせっかくここまで手塩にかけて育ててきた我が子を後もう少しというところで、もって行かれる残念さや悔しさ、無力さだけが残る。
 精神障害のない普通の引きこもりに比べればはるかに時間はかかるが、共同生活では確実に進歩を遂げる。
これを親が信じて待てるかどうかが、自立成功への鍵だ。


なおきの日記  2003〜2004

祝卒寮! 
2003/04/13,14歳で入寮 2004/3/31卒寮   卒寮記念寄稿はこちら  親の声はこちら 

雄太が卒寮して中学生が居なくなったがこれで6人目中学生の入寮。
やっぱり中学生はかわいくて素直でいい。何より一人居るとNOLAの雰囲気がなごむ。中学生ならいつでもウエルカムって感じだ。
その中でも直樹はとくに幼くて人懐っこい子供だが、こちらも精神的に弱くちょっとした身体の不調にも大騒ぎしているが、こちらは一切動じないのであきらめて動いている。
2003/09から例に漏れず吉中に通い始めた。

NOLA入寮半年以内の中学校再登校率100%の記録更新中!
なんとか志望校にも合格し、2004年3月NOLAを卒寮し、春からは家から高校に通っている。
現在は学年で首席というニュースも聞こえてきた。


ヤスの日記


2003年4月8日、21歳で入寮 2003/9中途退寮

誠に続く新入寮生。183cmの長身とがっちりした体格から引きこもっていたとは想像できない体育会系の寮生。バレーもやっていたらしく、誠とともにビーチボールの戦力になりそう。
しかし見てくれからは想像できないくらい依存が強く精神的に弱々しくもろい、NOLAに来て2日目に家に帰りたいと泣き、ただいま帰りたいモード真っ只中!脱走も、はや4回するなどつわもの・・・。

7月にNOLAに戻るも結局我慢できずに5回目の脱走を機に退寮。
2003/09中途退寮のため日記は終了しましたが、アルバイトに出たといううれしい便りも・・・・。


マコトの日記   2003


2003年3月21日、22歳で入寮 2003/5中途退寮

入寮後はまじめに取り組んでいて、NOLAでは優等生的存在なのだが、そのいい子ぶりと固さが気になる。
それらがとれていわゆる丸くなることが出来れば楽になれるのだがその域へ到達する前に4月28日にヤスと共に脱走。

でもこのままではいけないと自覚し、5月12日帰寮。
塀もなければオリもない、普通の民家のNOLA。
脱走できる自由がある事は本人達は気付いていない。

私は彼らが誰のためでもなく自分の自身の自立の為に自分がやらねばならないという自覚を持ってくれる事を期待し、待っているのだが親も子も自らの相互依存から脱却できず退寮した。

残念だがNOLAを出れば我々は何も援助が出来ないのだ。
中途退寮はスタッフにとっていつも歯がゆさと無力感が残る
2003年5月、中途退寮のため日記は終了しました。


はた(ハタティ)の日記
  2003〜2005

2002年6月、29歳で入寮  2005年8月26日卒寮

NOLA寮生から「ハタティ」と呼ばれる彼はNOLA最年長の29歳で入寮した。
中3で不登校を始め、以来14年間家に引きこもっているつわもの! 

入寮当初は、慣れない共同生活にこんなところには居れないと駄々をこねていた彼も、次第に打ち解け小声ながらも周囲と話しもできるようになった。
話ができないことも毎日の本の朗読を重ねるうちに徐々に声も出てくるようになった。
14年のブランクを取り戻すにはまだまだ時間はかかるが、本人もまじめに意欲的に取り組んでいる姿には思わずガンバレと応援したくなる。

やはり引きこもりは待っていてもラチはあかない。
違う環境で少しでも前に進む事が重要だと改めて感じる。
最近は作業組トップという自覚も出てきて、後輩達の面倒もよく見て、積極的に動くようになってきた。

2004/3月には念願のバイト(研修扱い)にも出れるようになり、まだまだ課題はあるが、自立への一歩を歩み始めた。
2005/8、家庭の事情もあり、仕事は?でも面倒見がよく温和な彼の能力を生かせる場として天理教の詰所で働くことになった。
長い間ありがとうございました。


雄太の日記
   2002

祝卒寮! 
2002年3月、14歳で入寮。 2003年3月31日卒寮

はじめて彼に会ったときは、彼は来なくて妹が来たのかと思ったほど、長髪でひょろひょろの女の子のような風貌だった彼も、同年9月から吉中に通い始める。毎日バス停まで2kmの道のりを徒歩での通学や、学校で沢山の生徒達との集団生活で揉まれるうちにすっかりたくましく、凛々しい少年に成長した。
そして2003年、高校に進学を決め、NOLAを卒寮し実家から高校へ通う。
そして3月31日晴れてNOLAを卒寮したため、日記は2003/3/30をもって終了しました。
ありがとうございました。


ひっきー(恵理子)の日記
  2000 

祝卒寮! 2000年11月、23歳で入寮。2003年3月31日卒寮。

来た当時はおとなしくて消え入りそうで、毎晩家に帰りたいと泣いていた彼女も、バイトに出るようになって早2年目を迎えようとしており、近所でもすっかり娘さんらしくなったといわれるほど成長した。
バイト休みの土曜日には菊ちゃんとレトロ市場をキリモリしている。
2003年3月13日遂にNOLAを卒寮し近所で念願の一人暮しをはじめた。
と同時に長く続けたローソンのバイトから、吉野町の臨時職員に採用され、新たな自立への冒険の旅に出ようとしている。みなさん是非応援してやってください。
NOLAを卒寮したので日記は2003/3/31をもって終了しました。ありがとうございました。
現在は帰郷し元気にやっている。
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