寮生OBの日記 |
ここでは過去にNOLAに在籍した寮生の日記を掲載しています。 NOLAの生活を見事やり抜いて立派に自立を果たし、晴れて卒寮を許可されて巣立った者。 途中でケツを割って逃げ出した者。 はたまた家庭の事情でやむなく中途退寮した者。 様々な若者がNOLAで過ごした日々の記録がここにある。 ひとついえるのは、卒寮を果たした者は今も社会で頑張っているが、子供の言いなりになって親がこちらの指示を聞かずにNOLAから出ていってしまった者の殆どが再び挫折しているという事実だ。 全身全霊で彼らの自立支援にあたっているスタッフにしてみれば 中途退寮は、せっかく手塩にかけて育てた我が子をとられるようなもの。 親も子もあともう少し頑張れば・・・というところで連れて行かれることは非常に残念で悔しさと、無力感が残る。 せっかく苦労してNOLAに来たのだから最後までやらせてあげて欲しいと切に願う。 「継続は力なり!」NOLAでの自立の成否はひとえに親の決意の強さにかかっている。 |
.
|
まいの日記 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2008/9 13歳で入寮 |
|
ゆうこの日記 2010 2011 2012 2013 2010/9 14歳で入寮 |
|
みつるの日記 2009 2010 2011 2012 2013 2009/2 14歳で入寮 |
|
まさきの日記 2010 2011 2012 2013 祝 卒寮!! 2010/5 15歳で入寮 |
|
りょうの日記 2008 2009 2010 2011 2012 2013 祝 卒寮!! 2008/5 12歳で入寮 |
|
ケンジの日記 2007 2008 2009 2010 2011 祝 卒寮! 2007/4/1 14歳で入寮 全寮制の中学でいじめにあい不登校に。家庭内暴力があり親は困り果てて連れてこられたが、それほどガタイがでかいわけでもなく、何をそんなに恐れるのかよくわからないというのが私の感触。 |
|
かずきの日記 2006 2007 2008 2009 2010 2011 祝 卒寮! 2006/8/29 14歳で入寮 |
|
真一の日記 2006 2007 2008 2009 2010 2006/5/29 22歳で入寮 |
|
コージの日記 2004〜2006 2007 2008 2009 2010 |
|
メイの日記 2007 2008 2009 2010 祝 卒寮! 2007/6 13歳で入寮 |
|
真奈美の日記 2005〜2006 2007 2008 2009 2010祝卒寮! 2005/7/7 14歳で入寮直輝以来の久々の中学生。 最近の中学生には珍しいくらい礼儀正しく物静かな少女。 普段の生活でも最年少ながら他の寮生の見本のような生活ぶりで、他の寮生に対しても○○先輩とよぶ律儀さ。家庭でそうとう厳しく育てられたこと(あるいは強度の完ぺき主義)が推察される。 ただその堅さと律儀さがプレッシャーとなって彼女の自立の足かせにもなっていることは確かで、今後いかにテキトーを覚えるかが鍵。 05/10月から真悟に続いて吉中に登校を開始した。 3学期からは部活も始めて充実した毎日を送っている。 不登校になって半年で入寮。3ヶ月で登校。これまた早期発見即時対応を実証する結果となっている。 中3の終わりには受験勉強にもエンジンがかかり、見事志望の大宇陀高校に合格、07年4月から高校生として通学。充実した日々を送っている。 |
|
さやかの日記 2007 2008祝卒寮! 2007/2/4 14歳で入寮 中学2年生で、不登校になり、別室登校はしていたが、我々がいつも言うように、別室登校は問題先送り以外の何物でもないという、早期発見即時対応が基本という、我々の主張に親が共感し、NOLAにやってきたが、かずきと同様、親が締めると、甘い祖父母のもとに逃げ込むという悪循環を続けていた。祖父母の孫離れ?が課題かも。 |
|
ジュンコの日記 2005〜2006 2007 2008祝卒寮! 2005/3/16 22歳で入寮 |
|
えみかの日記 2006 2007 20082006/8/28 14歳で入寮 |
|
たいようの日記 2006 2007 祝卒寮! 2006/1/10 14歳で入寮 不登校ではないが、生活が乱れていて遅刻はしょっちゅうで不登校気味の状態に危機感を持った親御さんが相談に見えて、乱れた生活を正す為に入寮。 |
|
ほかの日記 2003〜2006 2007 祝卒寮! 2001年6月、14歳で入寮。 入寮3ヶ月後の9月には吉中に通い始めたが、最初の一週間は私に内緒で保健室登校するなど何かとお騒がせで、私が何度も吉中から呼び出しをうけたつわものだが、どこか憎めない明るいキャラクターと調子の良さで吉野でも友達が多くいる。 昨年、卒業後就職希望だったホカはNOLAの近所の中西造園土木にアルバイト研修(丁稚奉公)に受け入れてもらい、調子の良さだけでは生きていけない厳しい社会の現実に直面しながらも、暖かい上司たちにも恵まれて、なんとかここまでやってきた。 恵理子に続いて彼もコテージ5(独立寮)でひとり暮しに入ったが、03年5月に自分のこづかいの管理が出来ず出戻り、再び寮生として生活。 10月にはその勤務態度の悪さに勤め先からもクレームがつき12月まで作業組にもどったが、05年4月仕事に復帰、仕事振りや意識にも自覚と責任が芽生えてきた為、06年5月からコテージ5に復帰して卒寮への最終段階にはいった。 |
|
2006/04/02 22歳で入寮 飄々とした風貌で、自然や山が好きはいいのだが、人が苦手(自称)で単独行動が好きで、急に消える癖がある。 |
|
|
|
かずまの部屋 2003〜2006 祝卒寮! 2002年9月、16歳で入寮、2006年3月、19歳で卒寮 全国から集まる寮生の中でも、最も遠い九州は鹿児島から入寮。 一見寡黙な彼も寮生の中では歌や踊りを踊って見せるなどひょうきんな一面もある。 そんな彼もNOLAからの高校進学を決め、奈良県教委の協力もあってこの春からNOLAから吉野高校へ通学をはじめた。 そして一年間を皆勤で学校へ通うなど頑張りを見せて、この春休みにはバイトにも出始めるなど、積極的に自分で自分の歩むべき道を切り開いていける力強さも出てきて喜ばしい限りだ。 06年3月には吉野高校を無事卒業し、春から就職訓練校への進学も決め3月いっぱいで晴れてNOLAを卒寮。 その後新居が見つかるまではNOLAで下宿扱いで生活していたが5月6日ついに引越し、本当の一人暮らしに挑戦がスタートした。 |
|
あみの日記 2003〜2006 2003/11/11 16歳で入寮 2006/3/24卒寮 男ばかりのNOLAに久しぶりの女の子が入寮した。 何も知らず、何も出来ない絵に描いたような温室育ちで、2度脱走するなどしたが、親の踏ん張りもあって徐々に生活にも慣れ、時間はかかるが日課も少しずつこなせるようになってきた。 入寮当初は、親や他人とも筆談しかできなかったが、今ではまわりにウザがられるほど陽気に良く話すようになった、しかし、日記を見ていただければわかるが、その内容はうちの拓ボン(わがやの次男、現在年長組)レベル・・・(・・;) でそこをどうやって社会に通用するレベルに引き上げていくかスタッフも頭を痛めているところ・・・。 日記もあまりに支離滅裂な文章なので、国語力がつくまでしばらくの間休止した、その間日記はノートに書かせて懇々と指導した後4/14から復活したが、今度はハンでついたようなワンパターンの文章になってしまいまたまた指導。 その後こちらでの生活の中で徐々に彼女の軽度発達障害に由来するものであることもわかってきて、彼女の能力に合わせた対応をとることで、徐々に落ち着きを取り戻して能力を発揮。 あとは彼女に合った仕事を探す段階にある。日記も復活 |
|
|
|
ヤスの日記 2004 2003/8/25 17歳で入寮 |
|
ひさしの日記 2005〜2006 2005/10/31 23歳で入寮 親は一年ほど前からゆきどけの会に入会してもらい、様々な勉強を重ねてもらっていたので親御さんはとても協力的だった、ただ、本人がなかなか動かなくて、タイミングを見計らって連れてきた。 来た当日は駄々をこねて大暴れ。 社長と大乱闘を起こすも、このままではダメだという思いもあってとどまる。 当初は1ケ月でバイトに出ると豪語していたが、現実の壁に直面、最初はいろいろ屁理屈を並べては帰ることしか考えていなかったが、徐々にNOLAにもなじんで前向きに取り組む。 日記の書き出し時期が早かった為、入寮間もない寮生の葛藤が良く描かれている。 その葛藤を乗り越えて彼らは生きる力を取り戻していくのだ。 思わず頑張れ!と応援したくなる。(いや我々も必死で応援しているのだ。) 生活には慣れてきた彼の次のステップは、まじめはまじめだが融通が利かず、理屈っぽい所があるため、なかなか自分の殻をやぶれないでいる今日この頃。 何も考えず、素直に他人の話を受け入れる余裕が出れば飛躍の可能性は大いに広がるだろう。 |
|
ミッチー(のりひこ)日記 2003〜2005 2002年11月、17歳で入寮 2005/12/14 中途退寮 NOLAに来る前は、兵庫県の公立の不登校向けの共同生活寮(学校?)に入寮するも、そこでは肌が合わず退学。 聞くところによると、共同生活ながら週休二日制で土日は家に返され、問題を起せば自宅謹慎させられるという、家から出す事が目的なのに問題を起こしたら家に返すという、わけのわからない対応をしていることに私は逆にカルチャーショックを受けた。 週休2日で立ち直るなら俺はこんなに苦労はせんぞと・・・。 ただ彼自身は定期的になんかやらかしてくれる、NOLAの伝説メーカーでもある。 そんな彼も私という天敵が居るせいか、失敗は多いが本人は極めてまじめに取り組んでいるし、ホカとならんで明るいキャラクターで周囲を笑わせている。 そんないいところをもっと伸ばしてくれたらと願う ただ彼に限らず発達障害や精神障害を持つ者の自立支援には、精神科医との連携も必要だし、普通の自立不全の何倍もの時間と根気と手間がかかるものだ。 彼もその例に漏れず立ち直りスピードの早いNOLAで作業組在籍3年というワースト記録も更新。 とはいえ入寮後3年が過ぎ、生活習慣も身につき、作業も失敗も多いがこなせるようになってきて、何度か就労のチャンスは与えるが、ネックになったのが彼の衝動性で、後先考えずに他人に迷惑をかける行動だけが収まらない。 ADHDに由来するものとはいえ、他人に迷惑をかけることは許されない。 彼が何かやらかすたびに、叱ったり、諭したりをくり返している。 発達障害はそれ自体は自立不全とは関係はないが、他人とうまく関係を作る為の作業には何倍もの手間と根気を要するのだ。だが、残念ながらアキオと同じく親は待つことが出来ず、変化を求めて他のフリースクール行くことになった。 残念だが彼が幸せに暮らせるようになるなら、どこへ行ってもかまわない。今は祈るのみ。 |
|
アキオの日記 2004〜2005 2004/7/26 19歳で入寮 2005/11/27 中途退寮 これまた入院直行組。精神的に病んだ者が入院した後のリハビリの機会や受け入れ施設が不足している何よりの証拠だ。 彼らが精神的に落ち着きをとりもどした後、親元を離れ社会で生きていけるレベルにまで援助することが最も根気と困難を伴う作業になるのだが、これができるところを私は共同生活以外に見たことは無い。 が、まだまだ少数で、経済的な問題も多い。全国に共同生活舎が増えれば多くの若者を社会に復帰させることが出来るのだが・・・・。 アキオ自身はコージとは対照的な理論派で物静かな若者だが、すぐ白か黒かの二進法的思考をしてくだらないことでクヨクヨ悩むことが多く、悩みだすとせっかくの理論がこんがらがって思考がフリーズ(停止)してしまうまさにパソコン的思考回路の持ち主。 余談だが、ビーチボールの寮生Bチーム「フリーズ」の名前は彼らの思考・行動パターンをとって誕生した。 また母親との相互依存が強く、くじけそうになると家にTELをくり返す。 ここをどうクリアするかが彼の自立の鍵になるが、 一年が過ぎ、薬の量もTELも減り、徐々に前向きさを取り戻してきていたが、好不調の波が大きく、不調の時には母親依存が頭をもたげる。 このとき家族が強い意志を持って続けさせることが出来るか、はたまた、受け入れてしまうかで立ち直りに大きく影響してしまうのだが、残念ながら後者となった家族の意向により退寮となった。 中途退寮はいつもそうだが、我々にしてみればせっかくここまで手塩にかけて育ててきた我が子を後もう少しというところで、もって行かれる残念さや悔しさ、無力さだけが残る。 精神障害のない普通の引きこもりに比べればはるかに時間はかかるが、共同生活では確実に進歩を遂げる。 これを親が信じて待てるかどうかが、自立成功への鍵だ。 |
|
なおきの日記 2003〜2004 祝卒寮! 2003/04/13,14歳で入寮 2004/3/31卒寮 卒寮記念寄稿はこちら 親の声はこちら 雄太が卒寮して中学生が居なくなったがこれで6人目中学生の入寮。 やっぱり中学生はかわいくて素直でいい。何より一人居るとNOLAの雰囲気がなごむ。中学生ならいつでもウエルカムって感じだ。 その中でも直樹はとくに幼くて人懐っこい子供だが、こちらも精神的に弱くちょっとした身体の不調にも大騒ぎしているが、こちらは一切動じないのであきらめて動いている。 2003/09から例に漏れず吉中に通い始めた。 NOLA入寮半年以内の中学校再登校率100%の記録更新中! なんとか志望校にも合格し、2004年3月NOLAを卒寮し、春からは家から高校に通っている。 現在は学年で首席というニュースも聞こえてきた。 |
|
ヤスの日記 2003年4月8日、21歳で入寮 2003/9中途退寮 誠に続く新入寮生。183cmの長身とがっちりした体格から引きこもっていたとは想像できない体育会系の寮生。バレーもやっていたらしく、誠とともにビーチボールの戦力になりそう。 しかし見てくれからは想像できないくらい依存が強く精神的に弱々しくもろい、NOLAに来て2日目に家に帰りたいと泣き、ただいま帰りたいモード真っ只中!脱走も、はや4回するなどつわもの・・・。 7月にNOLAに戻るも結局我慢できずに5回目の脱走を機に退寮。 2003/09中途退寮のため日記は終了しましたが、アルバイトに出たといううれしい便りも・・・・。 |
|
マコトの日記 2003 2003年3月21日、22歳で入寮 2003/5中途退寮 入寮後はまじめに取り組んでいて、NOLAでは優等生的存在なのだが、そのいい子ぶりと固さが気になる。 それらがとれていわゆる丸くなることが出来れば楽になれるのだがその域へ到達する前に4月28日にヤスと共に脱走。 でもこのままではいけないと自覚し、5月12日帰寮。 塀もなければオリもない、普通の民家のNOLA。 脱走できる自由がある事は本人達は気付いていない。 私は彼らが誰のためでもなく自分の自身の自立の為に自分がやらねばならないという自覚を持ってくれる事を期待し、待っているのだが親も子も自らの相互依存から脱却できず退寮した。 残念だがNOLAを出れば我々は何も援助が出来ないのだ。 中途退寮はスタッフにとっていつも歯がゆさと無力感が残る 2003年5月、中途退寮のため日記は終了しました。 |
|
はた(ハタティ)の日記 2003〜2005 2002年6月、29歳で入寮 2005年8月26日卒寮 NOLA寮生から「ハタティ」と呼ばれる彼はNOLA最年長の29歳で入寮した。 中3で不登校を始め、以来14年間家に引きこもっているつわもの! 入寮当初は、慣れない共同生活にこんなところには居れないと駄々をこねていた彼も、次第に打ち解け小声ながらも周囲と話しもできるようになった。 話ができないことも毎日の本の朗読を重ねるうちに徐々に声も出てくるようになった。 14年のブランクを取り戻すにはまだまだ時間はかかるが、本人もまじめに意欲的に取り組んでいる姿には思わずガンバレと応援したくなる。 やはり引きこもりは待っていてもラチはあかない。 違う環境で少しでも前に進む事が重要だと改めて感じる。 最近は作業組トップという自覚も出てきて、後輩達の面倒もよく見て、積極的に動くようになってきた。 2004/3月には念願のバイト(研修扱い)にも出れるようになり、まだまだ課題はあるが、自立への一歩を歩み始めた。 2005/8、家庭の事情もあり、仕事は?でも面倒見がよく温和な彼の能力を生かせる場として天理教の詰所で働くことになった。 長い間ありがとうございました。 |
|
雄太の日記 2002 祝卒寮! 2002年3月、14歳で入寮。 2003年3月31日卒寮 はじめて彼に会ったときは、彼は来なくて妹が来たのかと思ったほど、長髪でひょろひょろの女の子のような風貌だった彼も、同年9月から吉中に通い始める。毎日バス停まで2kmの道のりを徒歩での通学や、学校で沢山の生徒達との集団生活で揉まれるうちにすっかりたくましく、凛々しい少年に成長した。 そして2003年、高校に進学を決め、NOLAを卒寮し実家から高校へ通う。 そして3月31日晴れてNOLAを卒寮したため、日記は2003/3/30をもって終了しました。 ありがとうございました。 |
|
ひっきー(恵理子)の日記 2000 祝卒寮! 2000年11月、23歳で入寮。2003年3月31日卒寮。 来た当時はおとなしくて消え入りそうで、毎晩家に帰りたいと泣いていた彼女も、バイトに出るようになって早2年目を迎えようとしており、近所でもすっかり娘さんらしくなったといわれるほど成長した。 バイト休みの土曜日には菊ちゃんとレトロ市場をキリモリしている。 2003年3月13日遂にNOLAを卒寮し近所で念願の一人暮しをはじめた。 と同時に長く続けたローソンのバイトから、吉野町の臨時職員に採用され、新たな自立への冒険の旅に出ようとしている。みなさん是非応援してやってください。 NOLAを卒寮したので日記は2003/3/31をもって終了しました。ありがとうございました。 現在は帰郷し元気にやっている。 |
もどる |