一気に下へ
不登校とNOLA 
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不登校・ひきこもり、 わたしたちにはあまり関係のない事、他人事のように思っていました。
しかし長期不登校になるなんて・・・。中学に入学して元気に登校してくれてた。
三学期のある日、「行かへん」と言ってふとんをかぶったまま。毎日、毎日続いた。
祖父母からは「直輝は何でいかへんのや?」と毎日親と子からのダブルパンチ。
私は朝になると嘔吐、腹痛。親と顔をあわせるのがこわくなっていった。
2年になっても不登校は続いた。担任は時間があれば家に来てくれた。
そのおかけで数えるぐらいだったが登校した。私は色々な人に相談した。担任の金澤先生はじめ友人、不登校の経験者の親etc・・・。そして小学校5,6年生に担任だった恵理子先生。私にとって母親であり、姉であり、友人である。大変お世話になった人。
教育研究所にも相談に行っていた。不登校になり1年。私達にもあせりがでてきた。
3年生になる。進学は?高校は?そんな時、研究所から自立支援フリースクールNOLAを
紹介された。どうしようと考えている時間はなかった。恵理子先生に相談した。
「入寮させようと思っている」と。先生は「決断したんやな」と涙を流してくれた。
「直輝の為やな」と。金澤先生にも相談。先生はさびしそうだったが「直輝の為なら」といってくれた。入寮=転校。入寮の前日、恵理子先生はいってらっしゃいと見送ってくれた。金澤先生も当日見送ってくれた。
3年生になった4月13日、直輝はNOLAに入寮した。パソコンで直輝の日記がみられるからと教えてもらった。主人はパソコン教室にも通った。家族で日記を何度もよみかえした。
ある夜「お母さん」と元気な声の直輝からTEL。うれしかったー。
7月中頃入寮してはじめての保護者会。立山までの道のりは遠かったけど、なぜかアクセルに力が入った。離れて3ヶ月久しぶりに会った。背も高くなり体も大きくなり、みちがえるほど大きく成長していた。この時はじめて知った事。NOLAには日本全国あちらこちらから入寮されている事。おどろいた。うちは1時間あればNOLAなのにと・・・。
翌日、直輝の写真をみやげに帰宅した。そして8月にはうれしい報告。2学期から学校に行く事。みんなが望んでた事だった。運動会には祖父母と4人で見学に行った。元気に走ってる姿にみんなで拍手した。金澤先生はわざわざ直輝の顔をみにきてくれた。
「転校しても直輝はぼくの生徒です」と言ってくれた。ありがとう。11月の保護者会でも寮生とビーチボール。この時も金澤先生がきてくれた。谷川先生と二人。親以上にこの二人はもりあがっていたように思う。恵理子先生もきてくれた。大きくなったなとウルウル。NOLAに行ってからはじめての帰省。お正月は姉も帰ってきて久しぶり、6人全員集合した。この頃になると進学にむけての受験勉強にも力が入っていた。
卒業式には主人と二人で出席。卒業証書を受け取りに行く姿をみて主人は涙。私はここまでこれたというのが実感だった。明日は高校発表の日。発表の日はおちつかず発表をみにいった。「合格」 直輝のがんばりが実った日。こんな日がくるなんて一年前は考えてもみなかった。まわりの人達にささえられ、いつか笑える日がくるからとがんばってこれた。
直輝はNOLAで生まれかわった。NOLAの佐藤さんはじめスタッフのみなさんのおかげです。感謝しても感謝しきれない。
4月からは高校生。これからも色々あるだろうけどNOLAで経験した事を糧にがんばってほしいです。直輝だけでなく親の私たちも勉強した一年でした。ありがとうございました 
By 母  
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