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卒業記念寄稿《NOLAでの生活を振り返って》
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松岡 直輝 (まつおか なおき)

 僕は、去年の4月にNOLAに入寮しました。つまり、もう1年になるわけです。
僕がNOLAに入ってきたのは、中学1年の2学期後半から、学校に通うのが面倒くさくなり、それからしばらく学校に行かず、学校のみんなと顔を合わしづらくなり、先生と親と相談した結果カウンセリング室に通う事になり、登校していたのですが、それでもだるくなりそこから学校に通う事がなくなり、家での自分勝手な生活が始まりました。

そして、ゲームが友達と言っても良いぐらいゲームをしてました。朝起きると夜寝るまでゲームを止めないという、ゲーム生活が当たり前の毎日が続きました。1日3食の食事も不規則になり、親の言う事も返事だけして終わるという日々の繰り返しが約1年続きました。

 そして、中学3年になるときに、親と先生から「将来どうすんの?」と言う話しが出始めその頃、僕は働く気でいました。
しかし、親は僕に学校に行って高校も出てほしいというのが願いでした。そしてある日、親からNOLAの話しが出ました。親は、「見学でも良いから行ってみよう」と言ったので、僕の中でも、このままじゃいけないと想っていたので、見学に行き、塾長(つまり社長)と話して、入る事になりました。

 好奇心旺盛で積極的な僕はすぐにNOLAになじみました。しかし、慣れてくると緊張感がなくなり、楽しようと考え、スズの散歩を近道したりする楽な道を進もうとする自分になり、いずれは社長に見つかり怒られ、を繰り返し成長していきました。
NOLAに入り4ヶ月たった時に自分の中で、学校に行きたいと想うようになり、8月下旬社長に行きたいと言うと「許可する」と言ってくれて、9月の始業式の日から登校する事になりました。     
NOLAでもすぐになじんだように、吉野中学校(通称→吉中)でも、すぐに友達が出来ました。
通い始めて1ヶ月後には、だいたいの子は友達で、人気者になりました。
友達からも、「転校記念に遊びに行こう」と言ってくれて、遊びに行く事もありました。

学校行事では体育大会があり、もう、体育大会なんて、する事はないと思っていた僕にとっては、大きな出来事となりました。予行練習で、ボロ負けだった綱引きが、本番では全勝し、なんと、優勝しました。この時に、やっぱり学校は良いなぁと改めて想いました。

10月・11月になってくると、みんな受験の事を口にし始め、今まで高校の事なんて考えてなかった僕にとっては、これが一番の自分を変えるきっかけになりました。
みんなの影響で自分も高校に行きたいと思うようになり、12月に高校に行く事を決め、12月中盤から勉強し始めました。しかし、2年生の分の勉強が丸々抜けているため、取り戻すためにはみんなの倍以上の勉強が必要になりました。

3年生の勉強も理解するのがやっとの状況で、僕にとっては勉強はカナリ苦しいものでした。自分の集中力のなさが勉強をさえぎり、5分間ちゃんとした姿勢で座っているのがやっとの事で、10分後には集中力が切れ、とても勉強を教えてもらえるような態度ではありませんでした。

それでも、何とか頑張り、1月からは久仁子さんの友達のケッケに社会と国語を教えてもらえるようになり、下旬、試しに私立の関西中央を受験する事になりました。
初めての受験にさすがに緊張感がない自分でも緊張しました。そして、結果はうかりました。でも、これはあくまでも試しなので、ここで喜ぶわけにはいきませんでした。

次の受験は分割の榛生昇陽(しんせいしょうよう)でした。
僕にとってはレベルの高い高校で、定員が割れる事を願いましたが惜しくも13人オーバーで、少し厳しい状況になりました。

結果は、実力足らずで、落ちていました。これで、目指す高校は大宇陀になりました。私立が受かってるとは言え、私立は公立と違いお金が掛かるので、私立をうかったと考えずに、勉強しなければなりませんでした。

しかし、この時襲ってきたのが、ゲームをしたいという欲求です。
受験勉強をし始め、ゲームせず2ヶ月、勉強の疲れが出てきて、早く自由になりたいと想うようにりました。我慢がする事が苦手な僕にとっては、本当に苦しかったです。

しかし、後○日の我慢と想いながら、自分の気持ちを押さえ、受験の日がやって来ました。
大宇陀を受験するのが、自分と友達の2人だったため、お互いに励ましながら、頑張りました。
受験が終わり、後は自由でしたが、結果が分かるまでは、満足に笑えませんでした。

結果発表の1日前の卒業式では、お世話になった先生にお礼を言い、そして、発表の日、掲示板を見るとなんと、僕の受験番号がちゃんとありました。
友達の番号もあり、2人で喜びました。
1次は2次募集すら考えた自分でしたが、うかって、心から喜ぶ事が出来ました。しかし、僕がうかったのも、自分1人の力だけではないという事をしっかりと心に刻んでおきたいです。

国語と社会を教えてくれたケッケ・僕に勉強の課題を出して、数学を教えてくれた菊ちゃん・勉強する自分を見守ってくれた社長、久仁子さん、寮生のみんな、地域の人々、学校の先生、そして親がいてくれたからこそ、今の自分があると想います。

 この1年を振り返って、NOLAに来て、ここまで変われたのがすごい事だと想います。
NOLAに来る前は、働く事すら考えていた自分が今では、高校に通う事になりました。
これは、やっぱりこのNOLAがあってこそできた事だと想います。
最後にNOLAに来て良かったです。僕の中にもう不登校という文字はありません。
                                                  終わり。
CHANGE YOURSELF!      〜プロのプライド〜
 表紙の通知表にもあるように、ナオキは登校開始した二学期からは皆勤で卒業した。
一年前に同じく吉中を卒業し、進学を果たしNOLAを卒寮したユウタも、NOLAの行事と重なり登校できなかった一日を除いては皆勤だ。もちろん保健室登校などではない、一日も休まず授業を受けた証でもある。
 高校へ通っているカズマも一年間皆勤を通し、この春休みはバイトにも行っている。
 私は彼らに「皆勤しろ」とは一言も言わない。皆、自分の意志で困難に打ち勝ちやり通したのだ私は彼らの自立支援にかかわる者としてこの結果を誇りに思う。
いつも苦労ばかりの共同生活の中で、数少ない喜びとやりがいを感じる瞬間。
キムタク主演の人気ドラマをパクッて言えばこれがプロのプライドだ。
そして一人でも多くの悩める不登校の家族にこの喜びを味わって欲しいと切に願う。

                      NOLA 代表 佐藤 透
★菊澤より一言★
始めはゲームにしか興味の無かった直輝。勉強する気も集中力もまったく無かった。でも受験前は一日中机に向かって勉強してた。成長したなぁ。努力すれば出来ないことは無いってわかったと思う。これからがほんとの勝負やけど今の直輝なら、何かあっても諦めさえしなければ、乗り越えられるだけの力はついてる。がんばれ!それとおめでとう(*^_^*)
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