CHANGE YOURSELF! | |
〜バランスを大切に〜 | |
近頃、消費者金融のコマーシャルにたびたび登場するこのフレーズ。中でも、涙ウルウルで哀願するチワワにご主人がついつい犬の欲しがる物を買い与えてしまうシーンがたびたびテレビで登場して、チワワブームになるほど話題になった。 だが、あの愛らしいCMにつられて利用した消費者に、実はこわーい取立てが待っていたという笑えないオチまでついてきた。 マスコミは一方的に消費者金融のあくどい取立てばかりを報じて悪者扱いしていたが、業者も慈善事業ではない、商売なのだから利子つけて返せというのは当然の権利だろう。ただそのやり方が善悪のバランスを欠いていた、と言うことだろう。 「ご利用は計画的にバランスよく・・・」が出来なくて返済しなかった、または遅れた借主の自己責任には全く触れられていない。 これまたバランスを欠いた偏った報道と言わざるを得ない。
同じく、親が子供を虐待し殺す事件が立て続けにニュースになった。 本当に心が痛む。 虐待を受けていた子供たちの苦しみ、それでもついていくのは親しかいなくて、けなげに自制する子供の話を聞くと、本当に歯がゆい。
出来ることなら彼らを引き取り、のびのびと育ててやりたいとさえ思ってしまう。 これも受容と叱責のバランスを欠いた子育ての結末だ。 それにいつも問題になるのはそれらを食い止めるべき公的機関は何もせずに、近所の通報があっても、「こうなるという認識はなかった」と事態を放置した責任を取ることなく、苦しい言い訳。 そして、この公的機関こそが不登校の相談窓口でもある。 不登校の相談に対しても、同じく自分たちはなんら動くことなく、ただ「あなた(親)が悪い」 ではどうすればよいのかと言う問いに対しては「子供が自ら動き出すまで待ちましょう」を無責任にくり返すのみ。 周囲に実績のある民間機関があっても、紹介して何かあって責任取らされては困るので、紹介などはしない。 そうやって抱え込んでおきながら時間が過ぎて義務教育年齢が過ぎれば、我々の管轄ではないと追い出され、月日が立ち、引きこもりやニートに移行した挙句我々の元を訪れる当事者は後を絶たない。 これまた責任(リスク)と無責任(マージン)のバランスを欠いた仕事だろう。 もちろん我々民間にも行政が避けたくなるような問題はある。これも最近だが、手錠をかけて鎖で縛るなどという行き過ぎた指導で死者が出た共同生活寮が問題になった。 時を同じくして、二十数年前、スパルタ指導を掲げてスクール生達をバンバン海に突き落とし、体罰で死者を出したヨットスクールの代表者が出所し、テレビでタメさん(青少年自立援助センター理事長・工藤定次氏)と対談していたが、その内容たるや、「我々は間違っていない、そして菩薩が云々」と意味不明のことを話し始めて暴走していた。 テレビの前の我々は思わず「タメさん頑張れーっ」と叫んでいたが、話は平行線のままENDとなった。 「何ぼスパルタでも子供殺したらアカンやろ!」と突っこみたくなるが、彼らはそうは思わないらしい・・・。 一方、スパルタとは逆に、「子供たちの気持ちを受容して彼らの生き方を認めよう」「こうなったのは学校のせいだーっ!」などと、自己決定自己責任の法則は一切無視で、単なるわがままを自主性・主体性とすりかえて、社会制度をまったく無視した言動をしたあげく、(そんな自分勝手なことを言っていたら社会から浮くのは当然やろっ!とはやはり思わないらしい・・・。)「社会生活が営めないから、今度は彼らの生き方(引きこもりやニート状態でいること)を認めて社会が保障せよ!」という、もう殆ど逆切れ開き直りともいえる主張をしている団体も存在する。 だが、彼らに言わせると「共同生活は人権無視の強制労働で戦前の軍国主義の再来である!そしてそこで生活する寮生たちは強制収容所よろしく来る日も来る日も過酷な労働を強いられて辛くて心の傷に苦しんでいる」となるらしい(笑) そしてそういうことを言う人たちに限って我々の現場を一度も訪れたことはない。彼らの想像力(いや妄想か?)のたくましさには恐れ入る。 共同生活での苦しい思い(実際は楽しい思いもある)は、長い人生の中ではほんの一瞬だ。 また、苦労を乗り越えるからこそ自信が生まれ自ら人生を切り開く生きる力となる。 共同生活での体験はすべて実社会で役に立つことばかりで、たとえ一時的に傷ついたとしても社会に出られるのだ。 それよりも他の選択肢を知らないがゆえにに止むを得ず引きこもる人生を選択したことを「本人の自己決定だ」と援助者が勝手に決め付けて、誰かに保護させて一生を送らせるほうがもっと辛くて惨めな思いをすることは、続発する凶悪事件が物語っている。 それに引き換え、社会で活躍する寮生OBが「早く社会に出たかった、そして今は楽しい!」と異口同音に口をそろえることからも容易に推測できる。 それに実際に我々の現場を一度でも見たことのある人なら、この妄想とは真逆の明るい生き生きとした彼らの姿(入寮後の滞在日数によって差があるのは当然だが)に驚きを口にする場合が多い。 なぜなら我々は絵に書いた餅のような机上の空論や出来もしない理想をぶち上げたり掲げてはいない。 それより今の彼らの現実に向き合い、そこから再び社会で暮らせる為に必要なことを「やれば出来る」と信じて、彼らが幸せな将来を自ら勝ち取ることを願いながら、一つ一つ体験させ身につける努力を、当事者のそばにつきそいに共に汗を流す伴走者だからだ。 それに、もし、引きこもって何もしない人間(失礼!渦中にいる当事者がやりたくても出来ない!と、もがき苦しんでいるのは百も承知している。 だが我々の実戦経験からすれば、彼らの多くは出来ないのではない、やり方を知らないだけだ!)の生き方を認めて云々・・・という消極的な理由で、同年代の若者が汗水たらして働き、収めた税金を彼らのために使うならば、こんな不公平なことはない。 なぜなら、「働かなくてもOK。誰かが面倒見てくれる・・・」ならば、やがて皆働く気が失せ、一億二千万人総ニートになったら、この国の社会保障事態が成り立たなくなる。 隣には弾道ミサイルで虎視眈々と侵略の機会をうかがう独裁国家。アメリカだって本当に助けてくれるかどうかわからない。 結局他力本願では、自分で自分の首を絞める結果になるのは目に見えているし、そうなってからでは遅いのだ。 それこそ言論の自由も基本的人権もない60年前の日本に逆戻りだろう。 国家も個人もいい加減、他力本願思考を卒業し、自立することを真剣に模索しなければならない。
スパルタと受容放任。 この二つの極端な支援は実際に今も行われている。 もちろんその中でもきっと、元気になって立派に社会に巣立った青少年がいるだろう。 そしてそこで支援に携わる人も皆、それぞれのやり方がBESTだと信じて、少なくとも前記公的機関よりもはるかに熱心に問題解決に取り組んでいるはずだ。 ただ問題はどちらもバランスを欠いた極端に偏った思想に気づけないことだろう。
これらのことからも、如何に世の中バランス感覚が必要かわかっていただけるはずだが、自立不全者やその家族の多くがシロかクロかのオセロ思考に陥っている場合が多い。 だが実際白黒だけではでは、世の中渡っていけないし、何より自分自身が壁にぶつかることになる。 かく言う私も、実はかなりのオセロ思考なので、よく壁にぶつかるのでわかるのだが、「自分はいつも同じような場面で同じような問題に突き当たる」と、お嘆きの諸兄は、是非自分のオセロ思考をチェックしていただきたい。 必ず自分の中に偏りやこだわりが隠れているはずなのだが、これを自ら見つけ出し改革するのは難しい。 なぜなら、多くの場合無意識に判断し行動していることに気づかず、不都合な結果は他人のせいにしているからだ。 当たり前だがシロかクロだけなら、人生の選択は二種類しかないことになり、それだけで生きる幅が狭くなってしまうが、実際にはシロとクロの間には無限のグレーゾーンが広がっていることを忘れてはならない。 例えば、高校を不登校になったとする。 ここで「人生終わった」と考えて自分自身にクロを出してしまうのは、オセロ思考・・・。もしくは何とか高校だけは・・・と自分の限界を認めずしがみつくのもシロにこだわっているオセロ思考だ。 逆に、高校資格なんて後からいくらでも取り返せる、その間に自分のやりたいことや、生きる力をつけよう・・・どんな方法があるか・・・とにかくやってみよう。 これこそ挫折を力に変えるグレー思考と言える。 皆グレーと聞くと悪いイメージを持ってしまうが、実際は限りなくクロに近いグレーもあれば、限りなくシロに近いグレーもあって、無限に選択があるため正解というものは存在しない。 そして社会で採用されるのは圧倒的にこのグレーの選択なのだ。 それをオセロ思考でいくら考えたって答えは出てこない。 だから皆悩み苦しむのだが、答えを出すにはとにかくやってみるしかないのだ。 一にも二にも経験を積むことでしか自分のベストは見つからない。 そしてアドバイスをくれる人(人間関係)を作ることだ。 自立支援も同じで、これさえすれば100%立ち直るという方法はない。 支援に携わる者がそれぞれのBESTと信じる方法で事に当たっている。 だがその信じた方法が限りなく黒に近いグレーだとしても、上記にもあるとおり、自分たちだけでは気づけないことが多いのだ。 事実、自立支援に携わる他の団体の方が、ネットワークを広げようと、問題になったフリースクールを尋ねたところ、「うちは自分たちでやっていけるので、他と連携する必要はない!」と門前払いだったそうだ。 同じように、様々な団体が集まり、研修や協力活動を呼びかけても、天上天下唯我独尊で、うちは関係ないとか思想がちがうと、出てこない所も多い。 だが、引きこもりの支援団体自体が孤立し、引きこもっていて刻々と変化していく情勢にどのように進化できるのだろうか・・・。 今年で7年になるNOLAは、幸いにも、青創協(青少年創生連絡協議会)というネットワークのおかげで、以前から共同生活をしている先輩をはじめ、通所やカウンセラーなどの異種の専門家の方、又、地域の仲間たちから、様々な助言をよくいただいている。 この様々な人たちのアドバイスが、NOLA自体が独善に陥るのを防ぎ、バランスを保てる何よりの力となっているのは、とても幸せなことだと感謝しているし、さらに自らを戒めることも必要だと感じている、今後も皆さんからのアドバイスをお伺いしたい。 そして是非皆さんも「こうあるべき!」という堅いこだわりを捨て、無限のグレー探しの旅に飛び出していただきたい。 言いっぱなしの批判や中傷ではなく、お互いをよく知り、違いを認めながら、それぞれが出来ることで力を出し合う。 そんな協力関係が広がれば、もっともっと自立支援の輪が広がるはずだ。 もちろん我々も微力ながら、自分たちの出来ることなら喜んでお手伝いさせていただく所存である。 余談になるが、お堅い話ばかりがネットワークではない。
まずは楽しむことから! と、NOLAでは7月31日に大阪ではお馴染みの フリースクール対抗ソフトボール大会の奈良県大会 を宇陀市榛原で開催する。 ご存知のとおり、ルールを知らなくても運動苦手でもOK! デッドボール・フォアボール・盗塁はなし。技量に応じて適当にルールが変わることも・・・。 誰でも参加できる、勝つことよりも楽しみながら交流することが目的のソフトボール大会です。 昨年は6団体の参加があり、今年もすでに4団体から参加申し込みを頂いているが、個人参加もOKなので、個人団体を問わず是非是非ご参加ください。 と同時に、このソフトボール大会に商品やトロフィーなどを提供してやろうという奇特な方も募集しています。 終わったあと希望者にはNOLAでの打ち上げも予定。 申し込みお問い合わせはNOLAまで。 |
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佐藤 透 | |
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