CHANGE YOURSELF!
〜継続は力なり! 最後までやり遂げる重み〜

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 3月にアメリカのアメリカによるアメリカのための試合と言われたWBC(ワールドベースボールクラシック)が開催されたのは記憶に新しい。

開催国アメリカの自己中心で身勝手な運営は各国のヒンシュクを買い、日本もそのとばっちりを受けたが、それらの逆境をはねのけて優勝し、見事世界一の栄冠を勝ち取った。

彼らのプロ意識の高さとチーム一丸となったプレーにテレビの前で感動した方も多いのではなかろうか。
また、韓国に2連敗を喫しイチローが「最大の屈辱」と言ったことが大きく取り上げられて、相手の韓国や一部論評では、自分たちを侮辱したとか、野球を楽しむ姿勢が足りないなどといった批判をぬかす輩がいたようだが、私は、イチローほどの偉大な選手が、そんな次元の低い問題にこだわるとはとても思えない。

彼が最大の屈辱といったのは、結果がすべてのプロの世界において、同じ相手に二度も負けた自分たちのふがいなさに対して言ったものだろう。

彼は自分の結果に言い訳したりあきらめることなく、自分達チームが最高の結果を手にするためにあえてカツを入れた結果が世界一につながったのだ。だが各国の技術や実力にそれほど差があったわけではない。
差があるとすれば勝つことに対してのモチベーションの差だろう。同じく日本に2連勝した韓国も巨人戦になると俄然燃える阪神のように、相手が日本となればムキになってかかって来た結果であって、やはりモチベーションの違いといえる。

これらの出来事は実はどんな人生でも共通するものであって、もちろん我々自立支援の現場にあっても同じようなことはたくさんあり、当事者にも突きつけられている問題だ。

 私たちは自立支援のプロとして、最高の結果を出すべく努力しているが、思うような結果が出ないことに苛立ち、自問自答することはしょっちゅうあるし、だからといって落ち込んでいられない、奮起を即すためにスタッフにも寮生にもキツーイ言葉を発することもある。

どんな仕事でも、そのような幾たびもの困難や試練を逃げずに一丸となって乗り越えることで、すばらしい結果や達成感を手にすることが出来るものだ・・・と、口で言うのは簡単だが一朝一夕に出来るものではないのも確かなことで、同じことは自立不全者を再び社会に送り出すことが目的のNOLAの共同生活でも言える。

 そのNOLAに話題を戻すと、今春、一真(カズマ)が3年間通った吉野高校を卒業し、春からは更なる技術を身につけるべく職業訓練校へ通うことになり、晴れてNOLAを卒寮し、学校の近くで一人暮らしをすることになった。そこで後頁の、一真とお母さんから卒寮を記念して卒寮までのNOLAの生活を振り返った文章を寄稿してもらった。

読んでもらえばわかると思うが、卒寮までの道のりは決して平坦なものではない、本人も親も苦しみながら、でも逃げることなく3年半の間にいくつものハードル乗り越えて、やり遂げた喜びと達成感が文章からも感じ取れてうれしくなる。
 特にお母さんの文章からは親としての葛藤と苦しみ、迷いながらも決意した苦渋に満ちた心情が伝わってくる。我が子をNOLAに入寮させた親の誰もが体験する自己決定、自己責任という新たな人生の選択をした生み(ブレイクスルー)の苦しみでもある。

 彼が入寮するいきさつは私もよく覚えている。一真の文章にもあるとおり、鹿児島の高校で拒否って、環境を変えようと奈良に転居するが、変わるべき本人は何も変わっていないので、当然その高校も挫折し、生活は荒れる一方で、両親は近くの相談所などにも相談するが、そこでのカウンセラーの対応は、お決まりの「本人が動き出すまで待ちましょう」というもので、その間にも家庭内暴力はエスカレートし、思い余ってNOLAを尋ねてこられたのだった。

で、私は事情を聞いてその場で入寮させることを決断し、連れてきてもらうように言い、両親は連れ出そうと何度か試みたが親では歯が立たず、疲労困憊の面持ちで手段は問わないので連れ出して欲しいと頼まれた。

ただ、連れ出しは双方が負うリスクが高い為に、最初はお断りしていたが、お母さんの熱心な要望と一真の荒れようを聞き、このままではダメだと思い、連れ出すことによってのリスクと責任はすべて両親に負っていただくと言う条件でお受けすることにした。(現在も基本的に会員限定で且つ自傷他害等の緊急性があるときの最終手段としてしか行わない)

 リスクと言う言葉を具体的に言えば、引きこもっている彼らの部屋に踏む込むと言うことは、彼らの最後の砦に攻め入るのと同じことで、窮鼠猫を咬むではないが、当然あらん限りの抵抗をしてくることはよくあることで、それこそ命がけだ。実際に刃物を握り締めて待っているなんてこともある。
そんなことで事故が起こってしまったら、我々の身体もそうだが本当に彼らの将来にも傷をつけることになりかねないのだ。

そういう意味では、支援者が、現場からは程遠いオフィスの椅子に安穏と腰かけて「本人が動き出すまで待ちましょう」と言い放つのは支援者のリスク回避という意味では正解なのかもしれない。

なぜなら、現在の制度ではそれで何年引きこもろうが、本人の勝手(自己責任)と言うことで、今話題の企業コンサルタント会社と同じでアドバイスに対して責任を取らなくてもいいからだ。
だが私はこのことこそ不登校⇒引きこもりの長期化・高齢化を招いた真犯人だと考えている。

 そして、9月4日当日、私は非常時に対応出来るよう男子スタッフを連れて部屋に踏み込んだ。一真は寝ていたが、たたき起こすと、驚いた表情で、親に何事かと悪態をついた。
私はかまわず、一真に「親はこれ以上お前のことを放っては置けないので、社会に出す為にお前のことを我々に託す決断をした。だから今からお前は自立するまで我々と共に生活をすることになる」と宣言した。ひと悶着の後、一真は自ら荷物をまとめて我々の車に乗り込んだ。もちろん手錠をかけたり、縄で縛るなどということはしない。なぜ自ら乗り込んだのかといういきさつは企業秘密(笑)
 いわゆるここまでが第一段階。
入寮させる決断は最終的には親がしなければならない。だが、親が煮えきらず、このまま何とかなるのでは・・・とか、もう少し様子を見ようとか、親子関係が悪くなったらどうしよう・・・などとビビッてしまって問題先送りを繰り返して何年も無駄にしてしまう親も多い。実際NOLAに相談に来た後決断できずにズルズルと数年がたち、未だ引きこもったままという話はよく聞くが何の支援も受けず自力で立ち直ったと言う話はあまり聞かない。

今まで事あるごとに繰り返して言っているが、自立支援を受けるのは早ければ早いほど本人も家族も負担は少なく、予後も良いという現実を真摯に受け止めていただきたい。

 そして入寮。入寮当初にたまたました献血では今までの食生活の乱れから、コレステロール値がなんと計測不能という結果をたたき出して、引きこもりが心ばかりか身体の健康にも悪影響することを裏付けている。
(もちろん現在は正常値)

その後の一真は年齢が若い(17歳)(自立までの期間は年齢と引きこもっている期間に比例する)こともあって、めきめき元気を取り戻し、年末には再び高校進学を希望した。そこから教員の資格を持つスタッフの菊ちゃんの指導の下、翌春には吉野高校に入学。

と、ここが第二段階。
多くの当事者が学校や社会に復帰した時点、または間もないうちにもう大丈夫。と安心してしまい、もううちに帰っても大丈夫とか、この子はこんなに頑張ったのだからもういいだろうと、親のほうが妥協してしまい現場にいる我々の「時期尚早」の意見を聞き入れずに家に連れ帰ることがある。その多くが再び挫折することも知らずに・・・。
なぜなら、学校や社会に出るまでのNOLAでの作業組の期間はリハビリ(またはシュミレーション)であり、学校(社会)に出ることでようやく実践に入る。
実践といってもまだまだ若葉マークなのだから、当然失敗や挫折もある、そんな時、子供の言い訳は必ず自己を正当化し、「周囲(環境)が悪い」または「私には向かない」と言うことだ。

そして多くの親は、今まで、何度も子供の同じ手口の言い訳に引っかかっているにもかかわらず現実を確かめずそれらを鵜呑みにし、成功させることばかりに目を奪われて(失敗を恐れて)、乗り越えるべきハードルを下げるなど、ついつい転ばぬ先の杖で手を出してしまう。

本当はここで親が我が子の10年先20年先を見据えて、強い意志を持って突き放すことこそ必要なのだが、対決を避け、向き合うことから逃げる言い訳として「ならば環境を変えればよくなるのでは」「この子がここまで言うのなら」とか「かわいそうだから」と、物わかりのいい親を演じ、その実は親としての責任を放棄し、本来親がなすべき決定を子供に責任転嫁(子供に決めさせる)してしまうのだ。だがそんなことをして子供が学ぶのは、

「失敗を正当化する言い訳」と「わがままもゴネれば通る」と「やっぱり自分はダメだった」という挫折感と無力感だけだ

 このことはまさにWBCでアメリカが過保護なまでに自国のチームに都合のよいルールと勝たせる(成功させる)ことばかりに目が行き、スポーツマンシップとは程遠い、姑息な手段を使ったが、肝心の選手のモチベーション(気持ち)を高揚させることを忘れてしまっていたことによく似ている。結果は惨めな敗北だった。

 何事もそうだが本当の実力と言うのは実戦経験を積むことで初めて培われるものだ。「石の上にも三年」というが、他人とのかかわりの中で徐々にハードルを上げながらひとつの物事をやり続けることで学べる事柄は想像以上に多い。
それと、NOLAにいれば一人悩むこともない。

失敗したとき時、スタッフが即座に対応し、失敗をそのままにせず結果と向き合いリカバリーをどうするか共に考え、乗り越える方法を模索する。
自分に甘い言い訳をとことん潰して、自分の弱さと向き合わせてそこから乗り越えさせる。
これは普通の人間でも非常に苦しい作業だが、これ以外に生きる自信と力をつける方法はない。

自立に楽な近道はない!のだ。

同時に寮生同士悩みを分かち合える仲間がそばにいることも彼らが自立する為には重要な事柄だ。
それと、よくある勘違いで「人生を楽しめ」と、ろくに努力もせずに言う人が最近目立つが、楽しむということは楽をすることではない。精一杯の努力をして、その過程を楽しむことこそが真の人生を楽しむということだ。
イチローが自分達に向けて言った言葉はまさにそういうことだろう。
 実際に一真も何度かそんな危機はあったが、記述にもあるとおり、親子共に我々への信頼と親の必ずやり遂げさせるという強い意思で乗り越えてきた結果は、3年間で欠席3日という精勤で卒業を迎えたことと無関係ではない。

もちろん先生の努力も大きい。この多くの人とのかかわりの中で成長できることは、同じ学校卒業といっても、通信制や保健室登校で、殆ど家族以外に接触がなく、行ったり行かなかったりの登校とはまったく次元の違う話であることは理解していただけると思う。

そして、これらのことをやり遂げた自信は、一生揺らぐことはないだろう。

実際、過去同じように卒寮した者の自立不全の再発率は0%を更新中だ。

そして最後に書かれた一真の感謝の言葉でもわかるとおり、皆が入寮時に懸念する心の傷や、一時的な親子関係の悪化など、卒寮時には自信と入れ替わりに消えてしまい、杞憂であることがわかるはずだ。

 そういえば、もうひとつうれしい話がある。
3年前にNOLAから吉野中学を卒業し、地元から高校に進学を決めてNOLAを卒寮、高校では進学コースを専攻していた子が今年、大学に進んだという話を聞いた。

彼らは皆、不登校で自信を失い、家では埒が明かずNOLAにきて、すべて自分で決めて、自分の力で未来を切り開くという実践を積み卒寮を果たした者たちのその後の頼もしい姿だ。

基本的に皆、やれば(やらせる環境を与えれば)出来るのだ。 

そのキーワードは「継続すること(させること)」にあり、我々は彼らが自立というゴールを迎えるその日まで伴走者として共に汗を流し走り続けている。
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