CHANGE YOURSELF!
のらこみR22 夏の号より

〜耐力(体力)をつけよ!(本当の就労支援とは・・・)〜

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 最近、NEET(ニート)と言う言葉が様々な場面で登場し脚光を浴びている。
NEETとは何ぞや???と思う人もいる(私も含む)かも知れないので玄田氏から聞いた言葉の受け売りで簡単に説明すると、NEETとはNot in Education Employment of Trainingの略=15歳以上の働こうとせず、学校にも行かず、仕事に就くための専門的な訓練設けていない若者をのことを言うそうだ。

ただ、それだけだと「引きこもり」とどこがちがうねん!と思う方も大勢いると思うが、引きこもりは家から出れないが、それよりは少し範囲が広くて、いわゆるプータローやパラサイトシングル(親のスネっかじりで一人暮らししてる奴の事)なども含まれる。

これ以上私に突っ込まれても困るので興味のある方は「NEET」(玄田有史・曲沼美恵著 幻冬社刊)を読んでいただきたい。

 で、このNEETという言葉が出てきたおかげで、引きこもり=精神保健・福祉の分野のみの対応だったのが、初めて就労と言う部分がクローズアップされ、厚生労働省からも若年者就労支援の為の「自立塾」なるものが打ち出され、多額の予算がついている。

この動きにあわせて世間でもにわかに就労支援、就労支援と騒がれだした。就学や就労することが当たり前の共同生活から見れば何を今更・・・とも思うが、それでも「そっと見守る」たら「待ちましょう」たら心のケア一辺倒だった支援から、周囲の積極的な働きかけをヨシとする動きは、遅まきながらようやく一歩前進(涙)と、喜ぶべき変化だろう。

 だがそれと同時に、当事者のほうも就労支援というだけで何もかも解決してくれるかのごとく甘い期待をもって「うちの子は引きこもりなんですけど、おたくは就労支援してるって聞いたんで、うちの子にも仕事を紹介してください云々・・・。」なんていう超お気軽な問い合わせも増えてきている。

成り行きを見ている限り、どうもかつての登校拒否→不登校に名前が変わって様々な支援策(適応指導教室やスクールカウンセラーの配置など)が整備された頃に状況が似ているように思えてならない。資格だけ与えるが内容は空っぽで、肝心の本人が世の中を生き抜く力をつけない的外れな施策や対応でまたまた問題先送りになるのでは(このことが引きこもりを増加させた。今度はひきこもりの老人化問題に誰かが洒落た横文字をつけて流行するまで放置されるのか?)という危機感を抱かずには居れないのだ。

 そんなことよりまず、NEETや引きこもりも含めた自立不全者が、現実に就労に至るには越えなければならないハードルがいくつもある。

 具体的に言うと、

★まず多くの者が不登校経験者で、集団生活への耐性と基礎学力が十分ついていないことがある。

★二番目に生活習慣。昼夜逆転し、時間感覚が麻痺した生活を長く続け、かつまた運動もほとんどして いない為、仕事を継続するための精神的且つ肉体的なスタミナがついていないこと。

★三番目に上記二つの生活から他人とのコミュニケーションをとる実戦経験がほとんどなく、返事、挨拶など基礎的なことすら出来ない。

これら三つは世の中でフツーに生活している人たちにとってはあまりにも当たり前すぎて意識すらしないことであるが、自立不全者にとってはとてつもなく高いハードルとなる。

そのほかにも、NOLAに入寮した彼らと生活を共にし見ていると、彼らが乗り越えなければいけないことは、これだけではない。
成人の寮生の3割ぐらいはNOLAへ来るまでにバイトも含めて一度は就労体験をしている。
では、なぜ辞めたのか聞くと、彼らが必ず言う三大決めゼリフはこうだ。

@「自分の思い描いた仕事とは違った。=自分にはむいていない」

A「自分は一生懸命やっているのに、回り(上司)は認めてくれない」

B「周囲の反応が冷たい、あるいは人間関係がうまくいかなかった、とどめに明日から来なくてよいと言われた」

 そして彼らの実際の生活を見ていない、受容と共感と待つことが好きな支援者の多くが当事者の主観に満ちた自己申告を鵜呑みにした結果、「弱くて繊細な彼らのために彼らに合った仕事を紹介してあげなければ」と正義感に燃えて、これまた支援者が苦労して駆けずり回って、ようやく見つけた善意の第三者(事業主)に様々な条件を付けて彼らに就労体験をさせる。

その条件とは、

「朝早くは無理なので、昼からにしてください。」
「仕事は週に2〜3日でお願いします。」
「体力がないので軽い仕事でお願いします」
などなど。

 それでもよいと言ってくれた事業主の元へいよいよ通い始めたとしても

指定された時間に現れない。
気分が悪いといってすぐ休む。
気入らない仕事はせず消える(帰宅する)等は当たり前。

いくら善意の事業主といってもこれではたまったものではない。
なぜなら事業主だって厳しい競争社会の中で事業を継続していかなくてはならないのだ。

それはやがて、「申し訳ないが、お宅のお子さんは受け入れできません」と契約解消となってしまう。
というのが現在の就労支援と呼ばれているものの実態に思えてならない。
これでは本人はさらに自信をなくし、世間に新たな偏見と差別を呼ぶだけだ。

 だが、苦しんでいる彼らやその支援者に、こんなに偉そうな批判をしてお前に何が出来るんだとお叱りを受ければ「私が悪うございました m(? ?)m 」と言うほかにないが、別に私が偉いわけではないし、彼らが死ぬほど苦しい想いをしているのは、私も経験者であるからよくわかる。

しかし、彼らと24時間生活を共にする共同生活だからこそ見えてくるもの、できることがたくさんあるのだ。
で、その共同生活のなかで、上記@ABの浮き彫りになった実態はこうだ。

@を揚げる多くの子は、仕事に就く前に過度の期待を持って就労している。
 まあ自立不全者は大体、夢も希望も持っていない場合が多いが、こういう子達は逆に、自分はあれがしたい、これがしたいという夢を持ってる子達が多い。(だが実際に「やりたい」と「出来る」は違うのだ)

例えば、「漫画家になりたい」とか「美容師になりたい」とか、共通する彼らの頭の中の自分像は、仕事に就いたその日から、人気漫画家であり、カリスマ美容師でチヤホヤしてもらえると思っている節がある。

だが実際には、最初は誰でも重要な仕事などできるはずもなく、まずは本来の仕事とは関係のない、使いっ走りや雑用といった苦しい下積みが必要だ。

そして、その激しい競争に打ち勝った、ほんの一握りがスポットライトを浴びることが出来ると言うことを知らない。
だから、華やかな仕事に就けない自分に苛立ち、「こんなはずではない」となってしまうのだ。

 そんな彼らがNOLAにくれば、毎日7時起床、散歩、そして額に汗して働く野良仕事が待っている。
健康的な生活習慣とは無縁だった彼らはすぐ根を上げる。
朝起きてこない。集中力が続かずミスをする。
するといつもの言い訳が出てくる「自分には向いてない・・・」と。

そこでスタッフが言う。
「これぐらいのことでブー(文句)垂れているやつが、仕事が続くわけないやろ。」と。

今まで何の根拠もなく漠然と「やれば出来る」と信じていたことが、実際にやってみたら想像以上に遅れをとって「何も出来ない自分」に気づくことになる。

もちろんこのまま放っておけば、傷つき落ち込んだまま立ち直れなくなるが、共同生活ではいつもそばにスタッフが寄り添い継続すればやがて力がついてくることを教える。
そしてバイトや学校に出ている先輩寮生が自分たちも最初はそうだったことを話し、勇気付けてくれる。

そうすれば自分だけではないことに気づき、再び動き始める。
「人は頭を打たないとわからない」の実践だ。

Aも例えばよくNOLAに入寮して日の浅い寮生が皆で掃除をしていて、一人が箒で床を掃いているとする。
だんだんチリやゴミが集まってくる。
掃いている子はチリとりを目で訴えているのだが、当の本人はその横で何もせずボーっと突っ立っている。
でスタッフから雷を落とされる。

その後、私やスタッフによく言うセリフ。
「なぜ私はこんなことぐらい出来ないのだろう。
自分が許せない・・・」と自分を責めて落ち込むか、「私は、私なりに頑張ってるのに、認めてくれない・・・」と逆切れするか。

こうやって自分のやるべきことが見えていないのに、そのミスを認めないことが多い。
そんなときに私は「やれば出来ると思っているが、そんな簡単なことも出来ないのが今の君の実力だ。
実力がわかってよかったやん。
その経験(失敗)を次にどう生かすかでしょ!」

あるいは「NOLAに居る寮生は皆、私は私なりに頑張っている。
でも自分が想い描いた結果が出なかったのは、頑張りが足りないか、頑張り方が間違っていたからだ。
自分に何が必要だったのか検証し、できる範囲の無理をして実行せよ!」と言うことにしている。

ずいぶん手厳しいと思われるかもしれないが、実生活ではミスをしたその場で間髪居れずにスタッフが突っ込むので、言い訳のしようがない、すると割合すんなりと受け取るものだ。

そしてその失敗と(あれこれ想い悩み考える間を与えず)すぐにチャレンジを繰り返すことで、粘りと打たれ強さが身についてくるものだ。

Bについてもっとも顕著なのは★印にも上げたコミュニケーションがヘタクソなことにある。
朝起きて皆顔をあわせてるのに、おはようの一言もなく仏頂面。
スタッフが作業の説明をしてるのに人の目を見ず返事もしない。
これを職場でやらかせば、「やる気がない」「生意気」と、皆につまはじきにされるのは当然だろう。

もちろんNOLAでは即、その場でスタッフから檄が飛ぶ

「挨拶っ!!!」

「聞いてたら返事!!!」

それに対して寮生は「やろうと思っても声が出ない」とか「恥ずかしい」とかウダウダ言い訳を並べるが、容赦はしない。
だいたいこんなもんは理屈じゃない、実践あるのみ。
身体で覚えるものだ。

その証拠に職場や近所の人からは、NOLAの子は礼儀正しいとお褒めの言葉をいただくことがよくあるが、それこそが、変な理論や手法ではなく、理屈抜きの実践の賜物だろう。
そしてこの返事と挨拶こそが働くための基本になるのだ。

 彼らにいつも言うのは、「夢や理想で飯は食えない。世の中でいきなり自分の理想どおりの仕事をしている人は、ほんの一握りだ! 最初は職を選ばずまずは働くことだ。」

どんな職種も「ここ(NOLA)で普段やっていることの応用に過ぎない。具体的には(時間を守る、挨拶をする、周囲の状況を見て今自分が何をすべきか考え実行する、理屈を思わず目の前の与えられた課題に取り組む)これさえ出来れば何処でも食える!」と。

 私がこれらの実践から言えるのは

本当の就労支援とは、就労のハードルを下げる(彼らのレベルに合わせる)ことではなく、彼らの居場所と、就労の間に、もうワンステップ。
彼らが、自分で★印のハードルを乗り越える力をつける機会と彼らの将来を信じ、真剣に叱れる人たちが傍いる拠点を増やすことにある。
佐藤 透 
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