CHANGE YOURSELF!
〜 学校へ行こう (学校へ行くことの意味)〜

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 年度末のこの時期になると、新学期を目前に変わらない事態に苛立ちあせる本人や、家族からの問い合わせや見学が増える。その当事者の気持ちに呼応するように、どこからともなく様々な学校案内のパンフレットが送られてくる。

パンフレットもきれいなカラー刷りで興味をそそられるような様々な趣向が凝らされていて見ていて楽しい。貧乏なNOLAの白黒でボケた写真のコピーパンフとは大違いだ(笑)。

そして不登校の受け入れをうたった学校も非常に増えて、私が登校拒否児と呼ばれていた20数年前と比べれば、受け皿が増え、彼らの選択肢が大幅に増えたことは喜ばしい限りだ。ただ、数が増えると言うことは当然、いいものも悪いものも増えるのは世の中の常。

選択肢が増えた分、選択する側にも、的確な判断力と情報収集力が求められるようになっているが、どうもその部分が???と思わざるを得ない選択をしている方が多いように感じる。では具体的に何が???なのか、年齢別に順を追って書いていくことにする。

 年々不登校は低年齢化し、最近では幼稚園の不登校(いや不登園か?)もよく耳にするが
幼稚園や小学校の不登校は大概は単純な理由で不登校になっているので、ちょっとしたきっかけで復活する場合が多い。

先生との連携の上で家庭内でちょっと対処法を変えるだけでうまくいくケースがほとんどで、わざわざ高いお金を払ってNOLAに来るまでもない。
そういう意味もあってNOLAの共同生活の対象年齢は10歳以上としている。

ただ、家族内だけでは原因が見えないことも多いので、やはり学校や我々も含めて第三者の目と協力が必要であるのは、年齢にかかわらず基本中の基本だ。

したがって、それ以下の年齢は、通所型の「のらキッズ」(子供の居場所)や「のらチル」(チルドレンズスクール)などで我々が安全に目を光らせつつキャンプや自由な遊びが体験出来る場所を提供することで対応している。
(ただし怪我をさせないことではない、犯罪に巻き込まれるようなことから守るという意味の安全。「怪我は自分持ち」は自己決定自己責任の理念からも当然。)

 そして、中学校。ここへきてようやく選択肢というものがあらわれてくるのではないだろうか。
中学で不登校になると、担任の先生が熱心に家庭訪問をしてくれる。ここまではありがたいがそれが高じて無理やり登校させてドつぼにはまるパターン。

またはその逆でほうったらかしなど様々。そのうち子供は会うことを拒絶し、先生も疲弊し足が遠のき、やがて卒業の日が訪れ、先生の中で生徒は思い出と化し、当人たちは先の見えないトンネルのなかでもがき苦しむというパターンがほとんどではないだろうか。

だが私はそのことで先生や学校を批判するつもりはない。もちろん一部にはひどい対応(ゴミや邪魔者扱い)を平気でする学校や教師がいるのも承知しているが、多くのまじめで善良な先生の実態は、40人近くも生徒を抱えて、減った授業時間と増えた総合的学習などのカリキュラムの消化に追われ、一人の不登校の子供にかかりっきりになる時間がないのが正直なところだろう。

だが、それを批判する前に認識すべきは彼らは勉強を教える専門家であって不登校を立ち直らせる専門家ではないし、そのような教育は受けていない。私が先生に一言言うとしたら、出来ないことをいつまでも抱えていないでトットと我々に任せてもらいたいと言うことだ。

それに業を煮やした親の一部はフリースクールや、適応指導教室などに行くのだが、これらの多くは基本的に子供たちはそこにいれば何やってもいいと言うところがほとんど。

もちろん、家に引きこもって何もしないよりはよっぽどいいが、それでも我々から見れば時間がもったいないと映ってしまう。特に適応指導教室などは公的機関のお決まりの縦割りで、わかりやすく言えば中学を卒業してしまえば、立ち直ってもそうでなくても放り出されてしまう。しかもその後のフォロー機関の紹介や連携などはほとんどないのだ。

これは昔も現在もほとんど変わっていない。そして途方にくれた家族が次に目にするのは、最初にも書いた巷にあふれる宣伝広告やダイレクトメール。

不登校を受け入れる高校、通信制や大検サポートなど様々。当事者のほうもせめて高卒の学歴だけでも・・・とか、今度は行ってくれるだろうと甘い期待で・・・飛びつくお決まりのパターン。

もちろんそれも悪くはない。だが大抵登校できたのは入学式の一日だけ、あとはまたずるずると家にこもる、学校のほうも、学費さえ入れば、本人が来ても来なくても放ったらかし。もちろん中には全寮制などで生徒と向き合い、心のサポートもする良心的な学校もあるが、少数派。やがて月日が流れて卒業証書だけが家に送られてきて、おめでとうハイさようなら・・・。

学校に行かず資格だけを買っても、肝心の社会性が身につかず、本人も自信をなくしたまま、どうやって次へいけるのだろう。「やったーこれで高卒の資格は取ったぞ!」と喜ぶのもつかのま。

その後、専門学校で2〜3年お茶を濁したとしてもすぐに就職が来る。
だが紙切れ一枚の資格で受け入れてくれるほど社会は甘くはない。実力のないものはすぐにハジキ出されてしまうのだ。
そして成人の引きこもり・ニートの長期化という泥沼へはまり込んでゆく・・・。

 10年ほど前に文部科学省から「不登校は誰にでも起こりえる」という見解が出されて以降、不登校が市民権を得て、不当な扱いを受けなくなった代わりに、我が子の不登校に対して危機意識を持たない親が増えてしまったことは、非常に残念だし歯がゆい。
誰にでも起こりえるからといって放置しておいてよいとは誰も言っていないのだ!

 昨今問題となっている引きこもりの長期化、高齢化は、この小、中学、高校時代に始まった不登校のケアが不適切だったことがもっとも大きな原因となっている。

 自立不全解決の鍵はひとえに早期発見、即時対応にかかっている。このことはNOLAに入寮した寮生の社会参加率と卒寮までの平均年数にはっきりと現れている。

具体的にあげれば、中学生は入寮半年以内に100%登校開始し、卒寮までの平均年数は約1年に対し、20歳以上の引きこもりが入寮半年以内の社会参加率(進学・就職・バイト等)は25%。同1年で75%。平均卒寮年数は約3年だ。

さらに引きこもり年数と年齢が上がれば、神経症状なども出て、それに比例し益々時間がかかる。 私は当事者がこのような選択をしているのは勿体無いと書いた理由がここにある。

彼らが若ければ若いほどNOLAから社会に出るために超えるべきハードルが低くて済む。なぜなら社会の見る目が中学生と、成人とでは全然違う。

わかりやすく言えば同じ失敗をしても14歳なら「まだ若いから・・・」で許されるが、30歳だと「30にもなって・・・」と白い目で見られるということだ。

 それともうひとつは、子供のほうが変化に対して柔軟に対応できるということ。
若いと我々の忠告やアドバイスも素直に受け入れてくれるが、年齢が上がるとああいえばこう、こう言えばああと、屁理屈を並べてなかなか受け入れない。親もそうだが我々のアドバイスに素直に従うか否かで立ち直りに大きな差が出来るのは動かせない事実なのだ。

これらの事はNOLAの中での変化だが、それ以上にこの時期にしか出来ない大きなメリットは、学校へ行ける(それもほとんどタダで!)ということだ。

不登校に悩む当事者には「そんなことはわかってるわい!それが出来んから悩んでいるんだろうがっ!」とお叱りを受けるかもしれないが、先ほども書いたとおりNOLAでは中学生は100%登校しているのだ。

もちろんハードルは下げない。NOLAの地元の公立中学に登校し、普通に授業を受ける。保健室登校などは学校が認めても私が認めない。

にわかに信じがたい夢のような話だが、実際過去NOLAに入寮した中学生は、私たちの忠告を聞かず中途退寮した者以外皆、NOLAから通学を始めてからはほぼ皆勤で卒業している。
この毎日学校へ通うことこそが、皆さんが想像する以上に大きな成長を彼らにもたらしている。

 その1つ目は学力がつくということ。皆、学歴に目が行きがちになるが、肝心なのは学歴より学力なのだ。いわゆる「読み・書き・そろばん」が出来なければ社会で非常に苦労をすることになる。

実際NOLAへ来た成人の寮生の大半が不登校経験者で、後に通信制に行くなど学歴はあるのだが、ほとんど漢字が読めなかったり、地理や計算などの小中学校で習うべき基礎的学力が身についていない。新聞もろくに読めないようでは社会では受け入れてもらえない。

 2つ目はひとつのことをやりとおすことで生まれる「自分もやれば出来る」という自信。これはNOLAから学校へ行きはじめた時と卒業時では顔つきがぜんぜん違うことでもわかる。

 3つ目は規律と集団生活で揉まれることで育まれる社会性。これはNOLAの中だけでは培うことが出来ない力だ。この集団の中を渡っていく力は将来社会で生きていくうえで大きな力となる。同じように規律を守る行為も、一人よがりの言い分や考えは許されないことを知識ではなく実体験として知ることで、他人と折り合いをつける技術が養われるのだ。

 そして最後に、友達を作ると言うこと。
入寮したてのころはおどおどとして集団を避けるようにしていた子が、NOLAの寮生どうしの付き合いを経て、登校開始し、上記3つが出来てくるようになると自然に友達ができてくる。

そのうち学校の友達同士の付き合いのほうが面白くて、休みとなれば友達と出かけたり、逆に友達が遊びに来るようになる。
友との助け合いや競争を通じて、やがて来る進学や就職への意欲も高まるのだ。

 これで学校の大いなるメリットをお分かりいただけたであろうか?このことは何を適応指導しているのかわからない適応指導教室や教師以上に現場にいる我々がひしひしとそのありがたみを感じている。だからこそ思春期という人生でもっとも多感で伸び盛りなこの時期を無為に過ごすことがあまりにも勿体ないと言っているのだ。

この時期に多くの体験をさせて、自分で正しい選択をし、行動できる力をつければ学歴は後からいくらでも補うことは出来る。そして目的意識を持って進学した子達は概して成績が良いというおまけまでついてくるのだ。

だが、未だに一部で学校は悪だ。学校へ行く必要はないなどとほざいている団体もあるが、私は声を大にして言いたい。「学校へ行こう!」・・・と。
しかし、メリットはわかるがどうすればいけるようになるのかわからないと言う諸兄もおられると思うが、その答えのひとつに共同生活があることを知っていただきたい。

佐藤 透  
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