CHANGE YOURSELF!
〜金メダルは一日にして成らず!〜

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この夏は4年に一度のオリンピックが開催され、毎晩深夜までテレビに釘付けで、若きアスリートたちの活躍に一喜一憂し、眠い目をこすりながら仕事に出られた方も多いのではないだろうか。


もちろん私も睡眠不足に悩まされたくちで、しかも本来ホームページ更新に宛てる時間帯はおいしい中継がてんこ盛りで、更新が滞ってしまったことをここでお詫びしておきたい。

 さて、今回の日本チームは史上最多の金メダルを獲得し、○○年ぶりの快挙、○○王国ニッポンの復活などという活字が躍っていたような気がする。

だがあんなに弱かった日本がなぜ急に強くなったのだろう。今までの五輪の選手は努力を怠っていたのだろうか?いやそんなことはない、選手はいつだって血のにじむような努力を惜しまなかったはずだ。ではその努力が結果に結びつく、つかないはどこに差があるのだろう。

聞くところによると、ロス五輪あたりで散々な成績だったことから、国レベルでの選手強化策が打ち出され、小さい子供の頃から本格的なトレーニングが受けられるよう、人、物、金が大量につぎ込まれて、環境の整備が始まった。

ちょうどその頃おぎゃあと生まれた子供たちが充実した環境と適切な指導者のもとで成長し、長い時間と労力をかけて今ようやく、花咲いたのだといえる。選手強化のために取られた施策は大きく三つ。

まず1つに、早期教育の実施。2つめに、指導者(体制)の充実。3つめが金銭的なバックアップだが、我々や学校も含めた生きる力や社会性をつける子育て(自立支援)の状況を見る限り、現在はロス五輪レベルの惨憺たる状況だ。


具体的に例を挙げると・・・一つ目の早期教育。早期教育といえば、いわゆるお受験や、英才教育を思い浮かべるが、それらはすべて学力(知識)偏重で、生きる力や社会性を身につけるような教育を行っているところはまだまだ少数だ。

まず早期教育の入り口となる保育園や幼稚園で行っている内容を見れば、演奏などの派手なパフォーマンスや、語学や勉強を売りにするところはよく聞くし、それらは結果が目に見えてわかりやすいこともあって、ついつい親もそちらの方に目が行きがちになる、というか幼稚園自体を小学校の予備校程度にしか思っていない関係者も多いのではないだろうか?


でもどんなにお遊戯や語学が上手に出来ても、それらは先生からマニュアル化された情報を与えられたまま、ただまねしているに過ぎない。生きる力という観点から見ればそれらは人から与えられたことをひたすら演じ続ける受動的でマニュアルどうりにしか動けない主体性のもてない生き方の早期教育をしていることになる。

元来、主体性や社会性は自由な群れ遊びの中ではぐくまれるもので、高度成長期以前の日本では、子供たちが学校帰りに鼻をたらしながら様々な遊びやいたずらをして地域の大人に叱られる事も含めて、様々な人たちとかかわりながら成長し、社会性を身につけることができた。

実際私が住む地域でも、消防団等も含めた地域の相互扶助のために滅私奉公で働いているのはこの年代以上の人たちが多い。

 しかし現代は地域でのそのような子供の遊びはすでになくなっているし、地域の目が光っていない所で子供を野放しにすることは、凶悪犯罪が多発する現代においては、違う意味で危険でもあるが、リスクを恐れるあまり何もさせなければ、子供たちに力がつかない。だからこそ自由にのびのびと体験できる環境を大人が用意してやる必要がある。

 「子供の時間」という自主上映のドキュメント映画に出てくる埼玉のいなほ保育園のように、子供が鼻をたらして手づかみで昼食のサンマを頬張っていたり、火遊びをしたり、はたまた、雨の中泥まみれになって遊んでいるのを黙って見守っている。

そのような主体性や応用力を育てる群れ遊びや外遊びを実践している保育園や幼稚園は我々共同生活と同じくまだまだ少数派だ。またそういう保育を評価し、支援する体制も出来ていないのも共通する点だ。私も昨年まで子供が幼稚園に通っていたのでわかるが、一番問題なのは、そのような保育方法を容認し支援する親が少ないことだ。


そして、小学校へ上がればさらに状況は悪くなり、子供にゆとりと生きる力を育むという名目で実施された週五日制と総合的学習の導入という、文部科学省のまったく根拠のない意味不明な指示により、以前より限られた学習時間の中で学力を維持し、学校の勉強以外の体験実習を現場に強制された結果、児童どころか教師にもゆとりがなくなった。自分自身にゆとりがない指導者が、とても児童の一人一人の心のケアまで行き届くことなど不可能なのは誰が考えてもわかることで、それを裏付けるかのような事件が各地の小学校で起こっている。総合的学習にしても24時間体制で共同生活している我々でさえ子供が力をつけるまでに1年2年という時間がかかるのに、月に数時間の授業で子供に生きる力が育つ訳がないのだ。

誤解のないように言っておくが教師の能力を批判してるのではない。制度に問題があるのだ。しかし、指導者も重要だということは、例えば高校野球で、毎年甲子園に顔を出す強豪が、監督が変わったとたん鳴かず飛ばずになってしまったということはよくある話で、知識とマニュアルだけでは人を育てることは出来ない好例だ。

医者にしたって教師にしたって、社会経験が希薄でも試験とわずかな実習で資格が取れてしまう制度の中で子供の心のケアまで求めること自体に無理がある。

 そしてどんなことにもついてくるのが3の金の問題だ。多分ここが一番大きな問題なのかも知れない。
毎年甲子園に顔を見せる常連校の父兄やOBには毎年多額の寄付金を要請されるという。しかしそのお陰で彼らは優れた指導者の元、充実した機材と環境で思い存分練習が出来、素晴らしい結果を手にすることが出来る。

金を出す父兄も、高校野球なら甲子園、お受験なら有名大学への進学等、結果が見えやすい。だが自立支援というのは手間隙がかかる割には結果が見えにくい。

というか評価基準が確立されていないから厄介だ。そして華やかな結果が見えないものには人はお金を出したがらないもので、子供を進学させることには熱心で、故郷を遠く離れた我が子に部屋を与え、車を与え、せっせと仕送りを欠かさない親が、その子が不登校になり我々の元に見学や相談に来て寮費(月15万〜20万)は高いだの、払えないだのとクレームをつける人が(実態を知らない他の関係者なども)いるのは頭にくる。

それでなくても親が手に負えない他人の子を預かり、手間隙かけて親に代わって育てなおしている。とても他に職(収入)を得て片手間で出来る仕事ではない。そんなことをすれば(目を離せば)たちまち事故が起こる。

うちで言えばその寮費でその子と家族5人とスタッフ2人を養わなければならない。
スタッフ一人当たりの時給を計算して欲しい。
経費をまったく無視しても15万円の寮費で私と家内とスタッフ2名が24時間体制で働いている。
休みは月に一度あるなし・・・。

それを時給にすれば1人52円にしかならない計算だ。
しかも生活にかかる経費は無視しての話である。


子供にはもらいものの服を着せ(子供はこれが当たり前で気にも留めないが)、スタッフにもスズメの涙ほどの給料で働いてもらっている、結局彼らの尊い自己犠牲と熱意の上で成り立っているのがこの仕事だ。

 
そこに寮生の親が自分の子供には高価なブランドものの服など作業着に送ってきておきながら、金がないなどとほざいた日にゃ、私の頭はぶち切れ状態になる。

あるいはほんの入寮数ヶ月で魔法の杖が出てきてうそのように直ってしまうことを期待する親もいる。十年二十年と積み重ねた生活習慣がそう簡単に変われば苦労はしない。
(この辺のことは私自身かなり根に持っているので今後も何度となく噛み付くかも知れないがストレス発散しているのだと思ってご容赦を・・・)


でもこれが共同生活による自立支援の現実なのだ。もちろん公的援助などあるわけない。
これではスタッフの育成などできない。
これが高い立ち直り率を誇るのにもかかわらず共同生活による援助が増えない最大の理由である。

 とにかく、人を育てるという仕事は莫大な手間隙がかかるものである。
しかしそれでも私達はNOLAへ来た寮生が、いつしか自分自身に自立という金メダルを与える日が来ることを信じて、日々奮闘している。是非バックアップをお願いしたい。

佐藤 透
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