CHANGE YOURSELF!
〜事の善悪は誰が教えるのか???〜

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毎回、例に漏れず「のらこみR」の執筆作業には頭を悩ましているのだが、今回は特に筆(PC?)が進まず、また向出先生に夏の号が秋の号になると揶揄されそう・・・。
機関紙発行にかけてははぐれ雲に次いでいいかげんかも・・・(笑)

 毎月遅れず機関紙を出している他のフリースクールはよっぽど暇・・・
いやいや失礼、スタッフ諸氏の努力には頭の下がる思いだ。
次号はスタッフにオールおまかせで発刊予定なのでちゃんと出る。はず・・・。
 
 冗談はさておき、この原稿を書きかけた頃、ちょうど、長崎で幼児誘拐殺人事件が起こり、容疑者の少年が逮捕されたニュースが流れたので、書きかけた原稿を急遽この事件についての私なりの想いを書くことにした。

 以前、「のらこみR」2000年春創刊号の発行前に、酒鬼薔薇聖斗の事件や新潟の少女監禁事件がおき、それについて、創刊号で今後このような事件はどんどん増えるだろうと書いたのだが、残念ながら現実のものとなってしまっている。

今回も幼い中学生の犯行だという。そしてこれまたおとなしくて良い子だったという話だ。その一方で、叱られる事を恐れ、先生に叱られるとパニックになったという。

 だがここに書かれた犯人像は、そのまま不自立の青少年にも当てはまる。ただし誤解をまねかぬよう付け加えるが実際に犯罪を起こすにいたる青少年はごく一部で、皆が皆このような事件を起こすわけではないが、程度の差こそあれ、常識はずれた行動を衝動的に起こす事においてはかなり共通した部分がある。

 ではなぜそのような行動に走るのだろうか。また善悪の区別がつかないのだろうか?そのカギを握るのはやはり親子関係だ。戦後50数年が経ち、その間喜びを持って迎えられた自由主義は、個人主義へと変わり、やがて個人主義は利己主義へと変貌する。いわゆる自由とわがままの履き違えである。

これらの変貌は日本が手本としてきたアメリカの現在の言動を見れば、おわかりになるだろう。
だが本人(アメリカ)はさも世界の為にやっているのだと錯覚をし、世界中から忌み嫌われて孤立し、浮いている事を自覚できずにいる。

残念なことに日本の今の政治はそのアメリカに手放しで追随しようとしている。十年後の日本がああなることを自覚できずに・・・。


 これらは国家だけではない。教育や家庭にも同じことがおこっている!
様々な青少年問題に関して○○評論家や××研究家のオエライ先生方がマスコミで「欧米の対策はこれこれしかじかで日本より10年進んでいる云々・・・だから日本にも導入すべきだ!」などと声高に叫んでおられるが、よく考えてほしい。対策が進んでると言う事は、問題も進んでいるということなのだ。

 そして家庭に至っては、目を覆いたくなるような惨憺たる状況が広がりを見せている。
さしずめ親はアメリカ、子供は日本というところか。親はわが子のためという大義名分を振りかざし、自分の欲望を満たそうとし、親に嫌われたくない子供はひたすら良い子を演じ続ける。

そのうち社会から孤立するようになれば、「うちの子は弱いから。とか、感受性が強い、神経質だなどと」さもわが子が特別であるかのように振るまい、それが通らなくなれば、「こうなったのはこの子の個性を認めてやらない学校が、先生が悪い、あるいはいじめられたから・・・・。」とひたすら他人のせいにする。

それらに正々堂々と反論できずに右往左往する先生はさしずめイラクといったところか?
 だが、実際に自立支援の現場にいるものなら皆知っている事だが、それらのわが子像は、親がつくった妄想に子供を当てはめているのであり、子供は無意識のうちに「ひ弱なボク」を演じてるだけで、実際にはもっとタフでしたたかだ。

 例えば、NOLAではよく近くの温泉へみんなでいくのだが、初めてNOLAに見学や相談に来た親はその話しを聞いて「うちの子は家の風呂以外に入った事がありません。増してや他人と一緒に入るなんて無理です。」とよく言われるが、実際に入寮して、その子を連れて温泉に入っても、最初は多少躊躇する子もいるが、たいていは平気で入る。

それどころか皆に「今日は温泉に行くぞ」と言えば大喜びで温泉を楽しみにしている寮生がほとんどである。
ただし公共浴場に入った経験がないのでそのマナーを教えなければいけないが・・・。

 この事からも、如何に親のほうで子供を繊細でナイーブなものと決め付け特別視しているかがおわかりいただけるだろう。本当は子供は特別できないのではなく親が失敗(リスク)を恐れて不安のあまり子供のチャレンジを黙って見守る事が出来ないだけなのだ。

結局そんな親自身の心の弱さを子供に置き換えているに過ぎない。そしてその不安から、子供の一挙手一投足にも過敏に反応してまるで腫れ物を触るかのような扱いをしてしまっている。それでは子供が過敏になるのはあたりまえだ。


 弱さと共に、この事件のカギにもなっている欲望を押さえきれずに善悪の判断ができないことについても同様に小さい頃からの親のしつけに問題がある事が多い。


例えば、公共の場所で、暴れたりしている子供に、親は注意しない。他人が注意しようものならたちまち「大きなお世話だと言わんばかりにうちの子余計なことをしないで下さい!」などと言って逆切れする。

もしこの場に知人が多くいる場合のいい訳はこうだ。「この子はホントに聞き分けのない子で困るんです」とまるで他人事。さらに立場が悪くなれば子供に、「おとなしくしていたら○○のおもちゃを買ってあげるから」などと交換条件を出してもう哀願しているのだ。こうなればすっかり主従逆転である。


 本来マナーや善悪のけじめを守る事は当たり前の事で褒美や交換条件をつけて守らせるものではない。守らなければ親は自らの責任において断固とした態度を示すべきで、場合によっては手をあげてもよい。

だがなぜか親はその場を取り繕って穏便に済まそうとする。
なぜなら本気で向き合って自分が人前で恥をかいたり、嫌な思いをして傷つく事を恐れているからだ。
でもこんな時こそ子供は親がどれだけ本気かを推し量っている。

こんな場面で交換条件を出そう物なら、子供は「言う事を聞かずにごねれば欲望が満たされる。
親が必ず妥協してくる」という事を学習するだけで、こうなれば益々要求はエスカレートするばかりだ。
穏便に済ますのはご近所と、公務員だけで十分である。

こんなしつけをしていれば子供は表面ではいい子で、友達とは建前だけのうすっぺらな付き合いになり、本音のやり取りは出来ない。
そのくせ本心は欲望に満ちている。

好きな物は手に入り、我慢は教えられていない。教えられていないから我慢して乗り越えるなんて事は絶対出来ない。結果どうなるか?もうおわかりのはずだ。
あなたはそれでも本音で向き合い子供に嫌われるのが恐いですか???
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